水と六の旅 ~ 三重・奈良(3)

奈良県山添村には数々の巨石・磐座が点在し、村の観光情報サイトにも巨石ミステリーコースというページがあります。神野山の鍋倉渓は全国的にも有名ですね。しかしこの日僕が最初に向かったのは、この観光案内ページには載っておらず、訪れる人も多くはなさそうな“岩尾神社”というところ。僕が知ったのもこの旅のつい一週間ほど前のことです。

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「神社と言うからには近くまで行けばすぐわかるだろう」と甘く見て、事前に正確なルートを調べていなかったのが誤算でした。神社のある大体の場所はわかっていたものの、実際に付近へ行ってみるとそこはカーナビにも道が表示されないようなまるで陸の孤島といった感じのところでした。とりあえず岩尾神社に通じていそうな道に適当に見当をつけて進んでいくと、そこは普通車が一台やっと通れる程度の道幅で、片側は崖。すれ違いゾーンもほとんど無いです。もし対向車が来たらアウト。不安を覚えながらも先に進むとやがて行き止まりになり、民家がありました。どうやら道を間違えたみたいです。住人らしい人が訝しげにこちらを見ていました。その人に岩尾神社への行きかたを聞くと、親切に教えてくれました。いきなり知らない車が来てびっくりさせただろうな^^;

来た道を引き返し、教えてもらった分岐点を観察すると小さな看板があり、「←岩尾神社」と書かれていました。この看板は注意していないと気付けません。その道もやはり先ほど同様に狭くて坂道で片側が崖となっています。このあたりに住んでいる人はきっと嫌でも車の運転が上手になると思う。対向車が来ないように祈りながらしばらく走ると、また民家が2~3軒ほどある場所へ到達・・・。それ以上車で進むとまた行き止まりになる予感が。ちょうど車一台がギリギリ停められるスペースを見つけたのでそこに車を停め、歩いて先へ進むと左手に坂があり、その上に目的の岩尾神社がありました。

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静かです。音と言えば鳥の声しか聞こえません。参道は石階段。こういう山中の神社の石階段では、足元ばかりに注意していると頭上から糸でぶらさがるクモや芋虫といったブービートラップにひっかかることになるので要注意・・・。

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←おわかりいただけただろうか。

石階段を途中まで登った時、再びあの「空気が重い」感覚が。上にあるものが見えていないだけに余計に畏怖を感じつつ、階段を上がりました。

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拝殿の背後に鎮座していた岩尾神社の磐座。それは巨石でありながら今にも動き出しそうな生命感があり、圧倒的な存在感がありました。

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この磐座を前にして、しばらくの間呆然としてしまいました。中央の白い十文字は削られているのではなく浮き出ており、10m以上はある後方まできれいな直線が続いています。自然のものではないのは明らかです。ではこれをつくったのはいつの時代の、どんな人々なのか・・・どんな技術を使ったのか。この十字にどういう意味が?

同日に見た伊賀の磐座も立派で、古代に思いを馳せる楽しさなどあって魅力十分でしたが、物としての印象としてはあくまで「岩」でした。しかしこの岩尾神社の磐座はどこか艶かしさのようなものが感じられ、岩と呼ぶことも憚られます。その存在感に圧倒されるばかりで観察するのも忘れて写真もあまり撮ってきていません。神社はきれいに掃除されており、毎年秋になるとこの磐座の前で、子供が川原で拾ってきた小石を大人が買い取る「石売り行事」という祭りが行われるそうです。ふと、「磐座というものはその場にいる人の思いや存在そのものと呼応・共鳴してはじめてその神性が保たれるのではないか」という考えが頭に浮かびました。また必ずこの磐座に会いに来ます。

この時点で時間はまだ午前10:30。まだまだ時間は十分にあります。しかし伊賀で感じた疲労感がさらに強まり、帰るかどうか迷い始めました。少し考えて、当初予定していた大阪~六甲までは諦めるとして、奈良県内の目的地だけでも見てまわることにしました。

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山添村のお店の看板にある丸十字のシンボルマーク。この旅ではやけに「十字」と出会います。伊賀の勧請縄の“吊られた丸十字”に、岩尾神社の十文字、それにこの看板。関連性があるのか、それともただの偶然か。実はこの丸十字のシンボルは一年以上前から僕個人にとっても非常に意味があるシンボルマークで・・・それがこの「水と六の旅」で見つかる十字と繋がるのかそうでないのか、僕自身にもわかりません。僕にとって丸十字がどのように意味があるのか、その話はまたいずれ。

(4)へ続く。

水と六の旅 ~ 三重・奈良(2)

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伊賀の磐座をしばらく眺めていて、方向も重要な要素だと気付きました。スマホの地図機能で方角を確認すると、簡易拝所の方向は東を指しています。太陽も関係しているのは確実みたいです。山中で電波が届きにくいせいか、地図がどうも安定して表示されない。こういう時はアナログのコンパスの方が信頼できますね。しかしこの日はコンパスを持ってきていませんでした。磐座巡りをするには明らかに準備不足で、この日この先に進んでいいものだろうかと少し迷いました。まだ愛知県からさほどは離れておらず、道も混んでいないので、とりあえず次の目的地に向かう事にしました。

車を停めた場所までまた歩いて戻っていると、畑の脇に大きな石がいくつも置かれていました。畑を作る時に邪魔な石を脇によけたものだと思われます。こういった石の中には、もしかしたらかつて磐座を形成していたものもあったかもしれない。いや、絶対にあるに違いない。全国にはそうして破壊された磐座はいくつあるんだろう?

・・・磐座が古代の信仰対象であったという事はわかっても、その本質的な意味は現代人である僕にはよくわかりません。知っている人がいるとも思えません。少なくとも現代考古学の資料には載っていないでしょうね。ただ、この畑の脇に寄せられた石を見ていると、磐座は破壊はもちろん、位置や方向を変えたりもせず、古代と変わらない姿のままで後世に受け継いでいかなければいけないという気持ちが自然と沸いてきました。そのために僕が個人としてできる事は多くはないが、こうしてブログに磐座のことを書き、できるだけ多くの人にその魅力を知ってもらい、少しでも磐座保全の機運が高まってくれるとうれしい。

“丑寅の魔”を封じる伊賀の結界

車に戻り、ほんの数分走らせたところで不思議なものを見ました。縄で作られた、なにかのまじないのように見えます。僕はこんなものは見たことも聞いたこともない。興味がわいたので付近に車を停めて歩いて近付いていくと、奇妙な感覚を覚えました。

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空気が重く、頭が圧迫されるような感覚。この感覚には覚えがありました。昨年、名古屋の熱田神宮を参拝した時です。2012年12月に長年の封印が解かれ一般公開された、熱田神宮内の聖域「一之御前神社」。その前に立った時、一瞬意識が遠くなり、そして今回のような頭部への圧迫感を感じました。あの時は「さすが聖域」と思ったものです。しかしここには周囲を見渡しても、この縄のまじないの他にはこれといったものはありません。この縄に、熱田の聖域に匹敵するほど強力な何かがあるんでしょうか?さらに近寄って観察してみることにしました。

縄で編まれたわらじやひょうたん、タコ?など、身近にあるものを模した作り物が吊るしてあります。それらにまじって、丸の中に十字のシンボルも。帰宅後にこの縄のまじないについて調べたところ、このあたりの地域に古くから伝わる「勧請縄」という儀式であることがわかりました。

長田の勧請縄の伝説
伊賀地方には一月に勧請縄をかける行事が広く行われている。この行事は、地区の人たちが朝早くに藁を持ってしめ縄をない、大きなわらじやひょうたんなどの作り物をぶら下げて地区の入口に張り渡す、というものである。上野市内で今も勧請縄の行事を行うのは平尾、菖蒲池、東谷の三地区で、それぞれに由来が伝わっているが、平尾の勧請縄の行事に伝説が付随して語られている。
「未申(南西)から丑寅(東北)の方向に流れる川は方角が悪いため、そこから大蛇が男の人に化けて出て女の人をさらっていった。それでしめ縄を張ってこんなことがないようにした。(『ふるさとの昔』長田平尾)」

丑寅の方角からやってくる魔。それを封じるまじない・・・。どうやらこの勧請縄という風習は陰陽道と深い関係がありそうですね。であるならこの「魔」とは、古代、渡来人に土地を奪われ丑寅の方角(東北)などに追いやられた縄文・出雲系の人々とその信仰神を指していると考えられます。(1)でも書いた「本物の神は隠されている」です。この場所の住所についてものちに調べてみると「古山界外」という名でした。これまた意味深な響きがあって興味深いです。

しかし陰陽道と言えば、当時の政治中枢、つまり今の京都を「魔」から守ったもののはずだが、この伊賀の地にも何か重要なものがあるのでしょうか。そういえば伊勢・志摩の海女が使うまじないセーマンドーマンも陰陽道と深い繋がりがあります。京都、伊賀、伊勢は地理的に直線で繋がります。なにかありそうですね。

セーマンドーマンは海女が龍宮へひきこまれるのを防ぐまじない・・・。
龍は西洋で悪魔とされます。
その西洋で悪魔の数字とされる666。
陰陽道のシンボル五芒星。
ユダヤのシンボル六芒星。
渡来系の陰陽師が魔を封じた。その「魔」とは縄文・出雲系の人々。
五は火。六は水。

現在の伊勢神宮、すなわち天照大神が陰陽道と繋がっているなら、伊勢は五。
その天照大神を祖神とする皇室も五。
縄文系・出雲系は六。

魔と称したり封印を施したりと、五(火)と六(水)の争いの時代がかつてはありました。
しかし今、それが変化をしはじめています。

2013年、伊勢神宮(五)と出雲大社(六)の史上初の同時遷宮。
2014年、皇室の高円宮家(五)と出雲大社神職(六)のご結婚。

少しずつ五と六の和合が進み、新しい時代に向かっていると思えます。
今年2015年には何が・・・?

日月神示 海の巻 第五帖
今日(こんにち)までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄ぞ、本来 悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来たるなり、善いさかへば悪なるぞ、善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、只御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、只御光に生きよかし、生れ赤児となりなりて、光の神の説き給ふ、誠の道をすすめかし、マコトの道に弥栄ませ。八月十五日、カミのひつ九のカミしるす。
言答(いわと)明けたる今日ぞ目出度し、二の言答(いわと)早よう明けてよ。

「海」の巻に「五」。思わず見過ごしてしまうここにも深い意味があったとは・・・。
日月神示とはまったく気が遠くなるほどとてつもない書です。

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勧請縄が僕になんらかの作用をおよぼしたのか、なんだか疲れを感じ始めましたが、まだ元気。先に進むことにしました。空は再び暗くて重い雨雲に覆われてしまいました。名阪国道をしばらく走り、奈良県へ。次の目的地は、巨石と磐座で有名な山添村です。その山添村で僕は驚愕の磐座と出会うことになりました。

(3)へ続く。

水と六の旅 ~ 三重・奈良(1)
水と六の旅 ~ 三重・奈良(3)