Posts Tagged: 饒速日命

西日本駆け足神社めぐり旅(1)

今年のGWは九連休。今まで一度も行ったことがない中国地方や九州の神社に行ってみたいと思い、七日くらいかけて山陰から九州をまわる旅に出掛けることにしました。今回もいつもの通り、細かく予定を立てたり情報チェックはしないノープラン旅です。

僕はもともと電車や飛行機が苦手な上にGWの混雑ではとても旅どころじゃないので、移動手段は車の一択。もちろん車も渋滞にはまる可能性はありますが、リアルタイム交通情報をこまめにチェックしたり混雑しそうな時間帯を避ければ案外なんとかなります。
簡単に計算してみたところ、最終目的地を熊本県として、往復でおよそ2100km。七日間で回るとすると一日あたりの移動距離は300km。とくに行きは一般道での移動が主なので、かなりの駆け足で、移動にほとんどの時間と体力を使ってあまりゆっくり神社と向き合う時間はなさそうです。まずは行ってみて、良い神社だと思ったところだけ後日またピンポイントでゆっくり訪ねるという形にすることにしました。

籠神社と眞名井神社

最初の目的地に選んだのは、以前からこのブログで六芒星に関係する神社として気になっていた、京都の籠神社とその奥宮である眞名井神社です。京都府ではあっても北の最果て、日本海に面した場所なので、京都っぽさはないですね。僕が京都で普段感じる居心地の悪さもなかったです。

4月27日(土)、夜に家を出発。高速を使って舞鶴まで行き、道の駅で車中泊。5:00頃起きるつもりが二度寝してしまって、籠神社には6:45頃に到着。ここは地方の神社では珍しいゲート付きの有料駐車場でした。案内を見ると駐車場は7:00から開くと書いてあったので、二度寝してちょうど良かったぐらいでした。少し他所で時間を潰して6:55頃にまた来ると、すでにゲートは開いていて何台かの車も停まっていました。渋滞を作らないようにという地域への配慮から少し早めに開けたのかな?
いきなり出遅れましたが気を取り直して籠神社を参拝。とてもきれいな神社でした。

外観がきれいだという以外は特にこれといって印象に残らない神社でした。もう少しこう、なにか「感じる」神社だと思っていたので自分でもちょっと意外。ここでカメラのズームレンズを家に忘れてきたことに気付きました。なのでこの旅では40mmの単焦点レンズとサブのコンパクトカメラですべての写真を撮っています。レンズを忘れたショックで(?)写真も撮り忘れたらしくて籠神社の写真は一枚もない事に後から気付きました。

朝7時という早い時間にもかかわらず参拝客は続々とやってきます。
早々に眞名井神社に移動することにしました。籠神社から歩いて7~8分ほど。眞名井神社の前にも車5台分くらいの駐車スペースがありましたが一般客用ではないようなので籠神社から徒歩が無難です。

籠神社はあんなに人が来ていたのに眞名井神社に向かう人はまったくいませんでした。たまたまだと思いますが、もしかしたら眞名井神社の存在自体を知らない人も案外多いのかもしれません。

眞名井神社に近づくにつれて、なんとも表現できない神社独特の空気に変わってくるのがわかりました。籠神社では感じられなかった空気感です。社殿で参拝を済ませた後、その裏手にある磐座の前に立つと、前回の熊野旅での花窟神社の時と同じようになにか俗世のすべての物事を忘れさせてくれるような清々しい感覚に満たされて、かなりの時間そこにぼーっと立っていたと思います。その間も他にはだれもいなくて磐座を独り占めでした。写真撮影禁止とあったのでここの写真もなしです。

眞名井神社の入り口にある石碑。三つ巴の紋は数年前につけられたもので、その下にある本来の紋は六芒星。六芒星が何を意味しているのか、そしてなぜ三つ巴で隠されてしまったのかは今も謎のままです。
戌年~犬神(狼)の2018年~僕が神社めぐりを始めた理由(3)で示したように、僕の神社めぐりの原点である三河の石巻山で見た六芒星。そこから「六芒星探し」をして伊雑宮と籠神社(眞名井神社)にも繋がりがあるとわかりました。ずっと気になったままですが、謎を解く手がかり一つも見つからないまま悶々としています。いつかこの謎が解ける日が来るんでしょうかね…。

籠神社から海沿いに北に15kmほど走ると「伊根の舟屋」と呼ばれる伝統的な建物の民家群があるのでちょっと行ってみました。よく晴れていて海を見ながらのドライブがとても気持ちよかったです。

展望台から見る舟屋群。下に降りて散策することもできますが、すでに太陽は高く登っていて写真映えもしなさそうだったのであまり気乗りがせず、今回の旅ではパス。舟屋の中には民宿として営業しているところもあるそうなので、そこを予約して早朝とか夕暮れ時、あるいは夜なんかに雰囲気を味わいながら時間を気にせずゆっくり散策したい場所でした。「行きたい場所リスト」に加えて、また西に車を走らせました。

戌年~犬神(狼)の2018年~今後の神社めぐりと古代の探求

前回:戌年~犬神(狼)の2018年~僕が神社めぐりを始めた理由(4)

「大神神社=三輪山 聖地探訪」の夢想からはじまり、石巻山で見た六芒星を経て、籠目紋、そして籠神社の祭神である饒速日命・瀬織津姫へと行き着いた僕の神社めぐり。饒速日命は大神神社の祭神、大物主大神でした。奇しくもぐるりとまわって大神神社に戻ってきた形です。

前回の隕石の話を「僕の空想」と書きましたが、その後調べてみたら、隕石はあながち無関係ではなかったようです。磐船神社と同じ大阪の交野市に星田妙見宮という神社があります。そしてこの星田妙見宮に、実際に隕石が落ちたという話が伝わっているようなのです。
交野タイムズ – 星田妙見宮には『隕石落下ポイント』がある!~そして、その可能性は非常に高いですねぇと木内さんが指摘してる!~

ここで木内さんの名前が挙げられている事にまたまた不思議な点と線のつながりを感じてしまいます。木内さんとは世界的に有名な天文学者、木内鶴彦さん。僕は木内さんの考え方に共感する部分もあり、著書も持っています。
木内さんの功績の中でもっとも知られているのは、ペルセウス座流星群の母天体、スウィフト・タットル彗星の再発見でしょう。
流星群は地球に接近する彗星から剥がれ落ちたカケラが地球の大気摩擦で燃える際に発光する現象。
そしてまれに大きめのカケラが燃え尽きずに隕石となって落下してきます。その一つが星田妙見宮に落ちた隕石として伝わっているんですね。神話で、饒速日命は素盞嗚命(スサノオ)の息子。という事は、星田妙見宮の隕石がスウィフト・タットル彗星のカケラ、すなわち子供であるならば、スウィフト・タットル彗星がスサノオという事にもなります。

リンク先には、西暦816年の降星で「山の大半が吹き飛ばされた」とあるので相当な衝撃だったんでしょうね。
土砂崩れや火山噴火によるただの山塊崩壊とは性質がまったく違います。隕石はものすごいスピードで落下してくるので、膨大な運動エネルギーが加わりますからね。衝突の際に運動エネルギーが瞬時に熱エネルギーに変換され、その衝撃波は山を破壊するだけでなく、周辺地域一帯に壊滅的な影響を及ぼしたでしょうね。

余談ですが、この話は映画「君の名は」とリンクしている事に気が付きます。あの映画に出てくるティアマト彗星は1200年周期で地球に最接近するという設定。映画の舞台設定は2016年です。2016年から1200年を引くと816年となり、現実と重なります。新海誠監督は星田妙見宮に伝わる伝承を知っていて、映画の彗星を周期1200年と設定したのでしょうか?
新海監督は木内鶴彦さんと同じ、長野県南佐久郡小海町の出身。新海監督が小海町の有名人であった木内さんの著書や講演などから星田妙見宮の隕石の伝承を知り、それをモデルとして「君の名は」の設定を思いついた可能性は有り得そうですね。
※現実のスフィフト・タットル彗星は133年周期。

前にも書いたと思いますが、僕は京都方面に行くと、決まって悲しいような切ないようななんとも表現し難い感情が心の奥底に湧いてくる感覚があります。自分でもその理由はわからなかったんですが……いま、隕石という発想をしてみてなにか、その感情の根源が少し明らかになったような気がします。それはただの気の所為かもしれないし、そうでもないかもしれない。

星田妙見宮に伝わる隕石が落ちたのは西暦816年(ただし木内さんの計算によると西暦535年前後になるそうです)。隕石信仰があったであろう時代は僕の推測では少なくとも1800年から2000年以上前なので、年代が合わない点だけ見れば無関係に思えます。ただ、合わないのはあくまで常識で考えれば、です。磐船神社と星田妙見宮がともに同じ交野市にあるという事実からはやはりなにか関係があるように思います。

たとえば……また空想に走りますが、饒速日命を信仰した古代人は、今の交野の地に巨大隕石が落ちることが予めわかっていた……とかね。なにしろ僕の神社めぐりでちょいちょい常識では考えられない事が実際に僕の身に起きているわけで、それを思えば、今後の神社めぐりと古代の探求においても、常識的なものの考え方をしていては隠された答えにはたどり着けないのかな、とも思います。

僕の神社めぐりに関連するものがだいたい定まってきました。六芒星と五芒星。奈良の岩尾神社の磐座に象徴される十文字。狼信仰と天狼星(シリウス)。饒速日命と瀬織津姫の夫婦神、イザナギとイザナミのこちらも夫婦神。そして国之常立神に縄文時代……。