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昨年の白山中居神社での、とある体験

一年ぶりのブログ更新です。更新していなかった理由(言い訳)は書こうと思えばいろいろとありますがあえて伏せます。

今年2019年のGWは世間は十連休で、改元もあって色々と騒がれましたね。僕も九連休。久しぶりの長期連休だったので西日本へ神社めぐりの旅に出掛けました。その旅レポを書く前に、昨年の出来事を一つ書こうと思います。

これはブログには書かないで僕の記憶にだけ残しておこうと思っていたことなのですが、気が変わって書くことにしました。

昨年某日、白山中居神社に参拝に行った時の事です。日常の色々な事が心の重荷になり、心身ともに疲れてまたふらっと癒やされに行ったという感じです。山奥にある白山中居神社はたいていほとんど人がおらず、大木と川に囲まれて静かで清らかな空気が流れていて本当に癒やされるのです。その日も僕一人だけでした。

日の出からしばらく経った頃に拝殿の前に立ちました。参拝を終えたまさにその瞬間、木々の間から太陽の強烈な光が差し込んできました。この時の太陽の光はなぜかいつもとはまるで違いました。あたかも10メートル先に小さな太陽が出現したような、奇妙な感覚でした。その光はとても暖かく、手を伸ばせば太陽に触れられそうな気さえしました。夏の日差しのように…いやそれ以上に強烈なのに柔らかで、包まれるような不思議な光。白山中居神社の神様が僕を見てくれているように思えて、深く感動したのを覚えています。
下はその時の写真です。

白山中居神社と集落を隔てる川は朝日添(わさびぞ)川という名で、おそらくは朝日と水流が同じ方角だからこの名がついたのだと思いますが、僕の中ではこの日から朝日添川は「朝日に寄り添ってもらった」という意味になりました。感謝の気持ちを心の中で念じ、もと来た道を戻ろうとしました。ここでなんとなく、そのまま帰るのではなく朝日添川を太陽の方向に向かって歩いてあの光の余韻にもう少し浸っていたい、という気持ちになりました。

どれくらい歩いたかあまり記憶がありませんが、5分か10分くらいでしょうか。その先には大小ふたつの岩がありました。夫婦岩という名がついているようでした。大きいほうが女、小さい方が男。女岩は半分以上川に浸かっています。注連縄も無く、とくに御神体として祀られているような感じではなかったのですが、僕はこれも神の依代、磐座だと直感しました。女岩はあたかも子供を大切に抱いた女性のように見えました。そしてまた不思議なことに、女岩の上部に一瞬だけ、小さな仏様のような姿が見えたのです。「えっ?」と思って近づいていくと、何もありませんでした。後から考えると、仏様が見えた時、おそらく視覚で見えていたのではないんですよね。だから目をこらしてよく見ようとした僕は愚か者ですね…。神様も「こいつはいつまで経っても成長しないな」と呆れているかもしれません。まあ、屋久杉だって成長が遅いからこそあのような大木に育つんですしね(開き直り)

後からこの岩のことについて調べてみると、御手洗大岩とも言い、縄文の水神である瀬織津媛が祀られているそうです。日月神示では注連縄は古の神を封印するものだと書かれているので、注連縄がないこの御手洗大岩こそ、ある意味で本当の御神体なのではないかと思います。一応恐れながら写真も撮りましたが、これは公開しません。ネットで公開するようなものではない気がするからです。こんな気持ちになったのは御手洗大岩がはじめてですね。
もしこれを読んで気になってこれから行かれる人は、朝日添川は堤防など特に無くて雨の日の後などは水量が増しているかもしれないので、水難事故にならないよう気をつけて行ってきてください。

大和三柱鳥居建立のいきさつ

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大和三柱鳥居を見てきた(1)
大和三柱鳥居を見てきた(2)

本題に入る前に少し近況など。
前回の投稿から7ヶ月も間が開いてしまいました。
今年は春からプライベートと仕事共にいろいろ頭を抱えたくなる出来事が重なり、それによって溜まっていた疲れが夏頃にどっと表に出たんでしょうね。発達障害故の脳疲労が原因だと思うけど、調子が悪くなって、ブログ記事を書く気力すら沸かなかったというのが更新できなかった主な理由です。仕事は休めないので、回復にも時間がかかります。

家に閉じこもってばかりだと精神的にも悪くなる一方だと思い、ちょっと無理してお盆の連休中に群馬県方面に一人旅に出たものの、まったく気分転換にもならず、せめて太陽に当たるだけでもうつ予防になるかと思ったのに、終止雨が降っていました。おかげでますます辛くなるありさま(;・∀・)
ちなみにその旅では、俗に関東随一のパワースポットと言われている榛名山と秩父の三峯神社に行ってきました。調子が悪かったせいでその時は特に何も感ずるものが無かったけど、調子が良いときに行けば何か得られそうな予感だけは感じました。またいずれ両方とも行ってブログに感想を書きたいと思っています。

10月下旬頃からやっと調子が上向いてきた感じ。
僕は冬生まれだからなのか、どうも秋~冬のほうが心身の調子も良いです。
今はもうほぼ問題ないと言えるところまで調子が戻ってきたので、また更新していきたいと思います。

ではここから本題。
大和三柱鳥居を見てきた(2)で「イッポウ登山部が登山して続報する」というところで終わっていましたね。今回はその続報の内容と、それに対する感想など。

郡上市役所に残る、造化三神について書かれたメモ。
そのメモを書いたのは、番組の調査で岐阜市在住の大野安一さん(80)とわかりました。
イッポウによる大野さんへの取材で、詳しい経緯も判明。

大野さんには地元の砕石会社の経営者だった、故・山村けいさんという実の姉がいました。
現在鳥居のある山も、当時はその砕石会社のものだった。
山村さんは県会議員の故・船戸行雄さんと親交があった。

船戸さんは信心深く、京都の木嶋神社の三柱鳥居に深い関心を抱いていて、山村さんにもたびたび三柱鳥居の話をしていたらしいです。
やがて船戸さんと山村さんの二人は、郡上の山の真ん中にも三柱鳥居を建てたいと考えるようになった。というのが大和三柱鳥居建立のいきさつです。
大野さんいわく「三本柱は最も安定している。岐阜県は日本の真ん中にあり、ここが安定すれば日本全体も安定する」
郡上市は当時の日本の人口重心地であったことから、郡上の山中に三柱鳥居を建てるというのは確かに道理にもかなっていたみたいですね。

鳥居建立から4年後、人々を鳥居周辺に呼んでさらに活性化させたいという思いから、山の開発計画も持ち上がったが、この計画は資金調達の難航などで破綻。その後、山は郡上市に寄付されることになり、通る人さえいなくなった林道は土砂崩れに埋もれ、三柱鳥居だけが今もそこにポツンと残っていると。

さて、皆さんはこの話、どうとらえますか?
現代人が建てた三柱鳥居に、神は宿るのか。いわゆる「神聖さ」はあるのかどうか。
そもそも「神聖」ってどういう事?という哲学的な話になって行きますね。

僕は、大和三柱鳥居はその建てられた経緯により、他の三柱鳥居と同じく神聖なものと見なすべきであると考えます。
このブログでたびたび書いているように、物質というものは人の思考や感情に呼応するものであるような気がします。
例えば古代から神社のご神体として祀られている巨石(磐座)なども、元はただの岩。人の信仰の対象となってはじめて磐座は神性を獲得し、長い年月をかけて独特の気配を漂わせる「ただの岩ではないご神体」へと移り変わっていく。逆に人からの信仰を失った磐座は再びただの岩になることもある。

大和三柱鳥居は日本という国の安定を祈願して建てられたという事で、そういう意味では確かに「神聖」だと言えると思います。
そして、少なくとも一人、大野さんという人が、その事実を知っていた。イッポウによる報道で、さらに多くの人が大和三柱鳥居の存在と、そこに込められた想いを知ったはずです。
それならば、大和三柱鳥居を神聖なものと考えることの是非が、建てたのが昔の人か現代人かという観点に拠るべきではないと僕は思いますね。
今現在は草ぼうぼうで寂れている大和三柱鳥居も、もし今後また山村さんや船戸さん、大野さんらと同じ心を持つ人が多く訪れるようなことになれば、由緒ある磐座のように「本物の神性」を獲得することもあるかと。

逆に、古い歴史と伝統のある神社であっても、そこに関わる人に恨みや欲望といった負の思念があれば、神聖どころか、呪われ穢れた場と成り果てなることもあるでしょう。
そう、富岡八幡宮とかね。

イッポウ登山部はというと、登頂して実物の大和三柱鳥居にたどり着く様子もわずかな時間だが放送されていた。そのルートは詳しくは明かされていなかったけど、僕の二回目の探索の時と同じ、尾根伝いルートだったようです。
現地調査等は特にされなかったようで、僕が記事で書いた、建立当時にはたしかに鳥居の下にあったはずの神座が今は跡形も無く消え去っている理由等の謎は、まだ謎のままです。と言うか、その神座の存在自体、番組スタッフはもちろん、メモを書いた大野さんももしかしたら気付いていないかもしれません…。
まあこんなところに興味を持つのは僕みたいなよっぽどの変わり者位でしょうけど(;´Д`)

あとまったくどうでもいい事ですが、文体をですます調に戻しました。単なる気分です。