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中央構造線と神籬から紐解く古代日本(2)

137の神に誘(いざな)われ

再び茶臼山の話。愛知県東端にある茶臼山も、やはり中央構造線の上にあります。前回、「中央構造線が石巻山のあたりから角度を急に変えて北上している」と書きました。茶臼山はその北上しはじめのあたりにあります。もし中央構造線を「東を向いた龍」に例えるなら、石巻山が首で、茶臼山は首と頭が繋がる延髄あたりになるでしょうか。
東経で言うと、137度39分。

余談ですが、東経137度の南北のライン上にはなぜか「羽根」または「羽」の文字がつく地名が非常に多いことが知られています。このことから俗に「羽根ライン」とも呼ばれています。今回はこの羽根ラインについては触れませんが機会があれば詳しく紹介したいと思います。

経度とは、説明するまでもありませんが、地球全体を見た時の、東西方向の角度のことですね。137度という数は、円周(360度)と137度の比が黄金比「1:1.618」であることから、黄金角とも言います。東経の基準となる東経0度は、イギリスのグリニッジ天文台がある経度を指します。つまり地球全体から見て、イギリス(グリニッジ)と、日本の茶臼山を含む東経137度は、ちょうど黄金角の関係にあると言うことができます。だから何だと言われたら特に何もないんですが、まあ、イギリスと日本は黄金角で結ばれる「美しい関係」だなぁ、と。

それはともかくとして、実際のところ、イギリスと日本は古代においてなんらかの深い結びつきがあったような気がしています。前回書いたように、レイラインの概念はイギリス人考古学者のアルフレッド・ワトキンスによって提唱され、その後、日本においても偶然の産物とはとても思えないレイラインが次々と発見されています。このようなレイラインを構築できる、高度な幾何学や測量術、航海術、天文学の知識を持っていた集団が古代にいたこと、そして彼らが日本にも来て、多大な影響を日本人の信仰と文化に及ぼしたことはまず間違いないと思っています。

その集団は、どこから来た、どんな人々だったのか。僕の神社めぐりの旅はつまるところ、彼らが何者で、そして日本の先住民族である縄文人と彼らがどのような繋がりをもったのか。それを知るための旅であるとも言えます。

以前から僕は、イザナギ・イザナミを祀る神社や関係する土地に行くと心が安らいで落ち着くと度々書いてきていました。神社では白山中居神社や平泉寺白山神社、花窟神社、真名井神社。地名で言うと恵那や熊野。イザナギ・イザナミの夫婦神・・・イザナ(137)の神と、その渡来集団とが深い繋がりがある気がしてなりません。その集団のルーツに迫るには、「陽の道しるべ図」が大きな手がかりになるはずです。ただ前回、陽の道しるべ図には二つほど事実と異なる点が含まれていることを書きました。それは「淡路島を中心としたレイラインを古代人が構築した」という事の本質まで揺らぐものではありませんが、なんだか気分的にスッキリしないので、特に冬至日の出の方角には那智大社ではなく花窟神社があることを明記し、また中央構造線も絡めた図を新たに作り、それを今後の考察に用いることにします。

それともう一つの重要な鍵が六芒星です。
2014年、まるで目に見えない糸に手繰り寄せられるようにふらっと辿り着いた三河の石巻山。そこで「六芒星が描かれた鏡」を見たことが、自分自身でも理由がわからないまま始めた神社めぐりの原点です。イザナギ・イザナミの夫婦神と六芒星。これらを繋ぐ物証として残るレイライン。今後の神社めぐりは、このあたりに絞り込んで考察して行くつもりです。

今年の年末詣は伊勢志摩へ

一年のうちもっとも夜が長い日である冬至。自然界のリズムでは、この冬至を境にして陰から陽へ転換する、つまり新たな一年のはじまりの日と言えます。したがって、冬至以降に初めて神社に参拝する時が「初詣」だと僕は認識しています。ややこしくなるので人に話すときは世間の認識に合わせて「年末詣」と言っていますけどね。

茶臼山で見た、伊勢志摩地方のまじないであるセーマン・ドーマンが頭の片隅にずっと残っています。そのため夏からずっと伊勢志摩が気になっていました。
というわけで、今年の年末詣として、明日から伊勢志摩へ行こうと思っています。
コロナの影響で例年よりは観光客が少ないとは言っても、年が明けてからになると、神社にはやはりそれなりに多くの人が来ることが予想できます。今はコロナ感染を避けるという意味でも、人の少ない年末にお参りすることに理があります。

伊勢神宮は、外宮→内宮という順序で参拝することはよく知られていますが、その前に禊として、東の海に面した二見興玉神社を最初に参拝するのが古くからの習わしだと言います。僕も今回は最初に二見興玉神社を参拝してきます。二見興玉神社には神の使いとしてのカエルの像もたくさんあるし、茶臼山のカエル館繋がりということで。

そして、冬は二見興玉神社の夫婦岩の間から登る月の出が綺麗なんだそう。偶然にも今年は12月30日が満月。今年もかなり仕事が忙しくて疲れた一年でした。コロナ禍で仕事を失う人も多くいる中、忙しいと言えるのはありがたい事ですね。

中央構造線と神籬から紐解く古代日本(1)

神籬石の分類

神籬(ひもろぎ)とは、古代の日本において神が降りるとされる依代のこと。巨石や樹木などの自然物が神籬とされる事が多く、なかでも個人的に関心があるのは巨石信仰、立石信仰です。
僕がこれまで見聞きしてきた情報からざっくりまとめると、神籬とされる石は大きくわけて二種類に分類できます。一つは古代人がもともとそこに存在していた自然の巨石を神として祀った巨石信仰。この巨石信仰では、石の場所は元の場所から大きくは動かされていないものと思われます。これは純粋な意味での神籬石です。

そしてもう一つは、地理的な要に置くことを目的として、他所から移動させてきたもの。ここでは便宜上、前者を仮に「信仰石」。後者を「要石」と呼ぶことにします。学術的に正式な分類ではないので、よそでこう呼んでも通じません。

二種類の要石

その要石もまた二種類に分類できると考えます。
一つは、太陽や月などの天体の動きと関連するもの。これは「レイライン」の概念に通じます。レイラインとは、1921年にイギリスの古代遺跡が直線上に並んでいる事を発見したアルフレッド・ワトキンスによって提唱された概念です。日本におけるレイラインは、淡路島の伊弉諾神宮の宮司が発表した「陽の道しるべ図」などがあります。

陽の道しるべ図(伊弉諾神宮宮司 本名孝至著「淡路島と國生み傳承雜考」より)

そしてもう一つは、動物的な直感力によって目には見えない何らかのエネルギーを感じ取った場所に置かれた要石。この直感力は、西洋文明の発展とともに現代人がほぼ失ってしまったものです。この種の要石が置かれる場所は現代で言うところの「パワースポット」と言えるでしょうか。そこに山があれば、要石を置かずとも山そのものが要となります。現代科学ではその源になるエネルギーが何かは解明されていませんが、個人的には火山活動や地球の磁場と深い関係があるように思います。
前者のレイラインの要石が、古代の天文学に基づくいわば「知の要石」。後者がそれとはある意味で対照的な「感覚の要石」と言う事もできますね。

まとめると、自然の巨石を神籬として信仰した「信仰石」、天体観測による道標的な意味で意図的に置かれた「知の要石」、地球のエネルギーを動物的直感で感じ取って置かれた「感覚の要石」。計三種類に分類できます。

いずれも、時代を経る間に他民族の流入や戦乱などによって、その石が持つ意味を正しく伝える者が次第に減っていった。そしてすべてがごちゃまぜに「神籬」として伝えられ、さらに後世になるとそこに神社が建てられた、と考えられます。

パワースポットならぬ“パワーライン”中央構造線

中央構造線


衛星写真を見ると、九州から中央アルプスにかけて、東西に日本列島を貫く超巨大断層である中央構造線がはっきりと視認できます。阿蘇山から四国の剣山、奈良の吉野、伊勢と経由し、僕の神社めぐりのルーツである三河の石巻山も中央構造線の真上にあります。石巻山のあたりから角度を急に変えて天竜川に沿って北上し、長野県の諏訪大社へと続きます。その途中にはゼロ磁場として有名な分杭峠もありますね。

長野県から先は、中央構造線ができた時代より後の地殻変動の影響で地形が変わったため衛星写真からの視認は難しくなりますが、実際には太平洋の海底までずっと続いています。この新しい地殻変動については「フォッサ・マグナ」「糸魚川―静岡構造線」などで調べると詳しくわかるでしょう。

中央構造線の上に位置する場所を実際に訪れてみると、なぜか居心地が良いと感じる場合がとても多いです。その居心地の良さを言葉で表現するのは難しいですが「空間が開いている」という感覚がします。きっと古代の人もそれを感じ取り、中央構造線上に信仰の対象として神の依代となる神籬を置き、それがのちの伊勢神宮や諏訪大社などとなったのではないでしょうか。

陽の道しるべ図の奇妙な点

ここで、淡路島の南端にある諭鶴羽山(諭鶴羽神社)、そしてその先にチョコンと飛び出た沼島に注目してみると、これも中央構造線の真上にあることがわかります。

陽の道しるべ図でも諭鶴羽神社は重要視されているようで、中心地にその名が明記されています。しかし、図では伊弉諾神宮の真南に諭鶴羽神社があるような書き方で、南北方向のレイラインに乗るかのように読めますが、このレイラインを検証してみると、諭鶴羽神社は伊弉諾神宮の真南ではなく、約8度のズレがあります。

諭鶴羽神社はイザナギ・イザナミの二神を祀り、明らかに伊弉諾神宮と繋がりがある事がわかりますが、8度ものズレは誤差の範疇とは言えません。この一見不可解な点こそ「知の要と感覚の要の混同」と考えれば合点がいきます。諭鶴羽山は中央構造線上のエネルギーを古代人が感じ取った感覚的要。そして伊弉諾神宮は太陽の運行に関連する知の要。それぞれ別のルーツを持つ信仰が時代の移り変わりとともに混同されていったと推測します。陽の道しるべ図に諭鶴羽神社が書かれているのは、イザナギ・イザナミの二神を祀っているという事実から、レイラインに載せたいという作為が働いて、8度のズレを「無かったこと」にし、こじつけてしまった結果だと思われます。

同様に、図では伊弉諾神宮から見て冬至日の出の方角に熊野那智大社があることになっていますが、実際には熊野那智大社はもっと南にあります。冬至日の出の方角にあるのは花窟神社です。宮司がこの図を作る際に「伊勢神宮や出雲大社など錚々たる社が各方角に出てくるのに、冬至日の出の方角だけ知名度がない花窟神社なのでは格が釣り合わない」と考えたのでしょうか?それでここでも角度が違う事実を無視して熊野那智大社を当てはめた…と。あるいはただ単に花窟神社の存在を知らなかっただけかもしれません。

僕が実際に行ってきた印象としては、年越し熊野旅(2)~上っては下る熊野の神社めぐり~で書いたとおり、花窟神社こそが熊野の地でもっとも格が高い特別な場所だと感じました。イザナミの墓所でもあるので、伊弉諾神宮との関連性も十分。もし僕が「陽の道しるべ図」を作るなら、冬至日の出の方角に入る神社はむしろ花窟神社以外には考えられないですね。
続く。