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月と共に巡る伊勢志摩(6)〜夫婦神と月讀宮

この日12月30日は満月。一旦ホテルに帰って休憩。夕方を待ってから再び二見興玉神社へ行き、夫婦岩と月の出を眺めてきました。と言うと優雅な感じですが、風が昼間よりさらに強まり、まるで台風のようでした。JR紀勢線も強風のために一部運休になったそうです。その影響もあってか、人もまばら。波しぶきを浴びながらの写真撮影となりました。でも朝方まで雨が降っていたことを思うと、晴れてくれただけ幸運でしたね。
月が出る時刻は日の出とは違って毎日大きく変わります。だから29日に撮った写真と比べると、月の位置は同じでも空の明るさが全然違いますよね。また、夫婦岩の上に月が来るのは冬の間だけです。

月讀宮

翌朝6時、ホテルをチェックアウトしてこの旅最後の目的地、伊勢神宮内宮へ向かいました。前日とは打って変わって風のない静かな日でした。途中に内宮の別宮である月讀宮があります。ここも月繋がりということで寄ってみることに。

駐車場に車を停めて振り返ったらちょうど月讀宮の上に満月が・・・。ウソみたいな話ですが、僕はこのタイミングを狙っていたわけではなくこれも偶然です。そもそもこの位置に月が来ること自体知らなかったし。

ここは月夜見宮と違って暖みがある印象でした。ほぼ同じ大きさの社が南向きに四つ並んでいて、向かって左から順に伊佐奈弥宮、伊佐奈岐宮、月讀宮、月讀荒御魂宮。ここにイザナギ・イザナミが祀られていることもこの日来て初めて知りました。皇祖・天照大神の親神であるイザナギ・イザナミがこの月讀宮に並べて祀られているのはなぜだろう。ちょっと調べたところ、伊勢神宮125社の中でイザナギ・イザナミを祀っているのもここだけのようです。親神であるならもう少し特別な扱いであってもいい気がする。ふと湧いたこの疑問が、後述する考察に繋がりました。

伊勢神宮成立よりも古い?夫婦神を結ぶ東西のライン

さて、前回記事でもったいぶった話の続きです。伊射波神社をイザナミ神社と空目した僕は、試しに伊弉諾神宮と伊射波神社とを直線で結んでみました。仮にこの直線をイザイザラインと呼びます(ネーミングセンス)

面白いのは、このイザイザラインは、月讀宮の真上を通過していることです。どれくらい「真上」かと言うと…。

これくらいです。中央の赤い線がイザイザライン。完璧なまでに月讀宮の鳥居を通り、4社の眼前を通っています。
伊弉諾神宮は現在はイザナギ・イザナミの二柱を祀っていますが、元々はイザナギだけを祀っていたという説が有力です。幽宮(かくりのみや)とも言い、イザナミと死別しイザナギだけで国造りをした後の余生を過ごした場所、とされています。

ほぼ真東にイザナミと読める伊射波神社。そのあいだには月讀宮。月讀の「ヨミ」は黄泉(あの世)を意味しているのでは。イザナミの死で一度は離れてしまった両神が、月讀宮で、つまり黄泉の国のお宮で再び一つになれたのかもしれないですね。これらが全て偶然だとしたら逆にすごいんですが。月讀宮にイザナギ・イザナミが祀られ今の4社の形になったのは明治6年の事。その決定をした人は何かを知っていたんでしょうか。

記紀の日本神話ではツクヨミはアマテラスと同じくイザナギ・イザナミの子供とされていることからすると、この解釈には矛盾があると思うかもしれません。しかし日本神話にはそのベースとなった未解明の神話や伝承があったことはまず間違いありません。そしてかなりの部分が元の話から変化している、あるいは意図的に改変されていることを思えば、特に不思議はありません。ツクヨミという神はもともとはイザナギ・イザナミの子供ではなかったと僕は考えています。記紀でツクヨミはほぼ存在感ゼロですしね。

「そんな古代にどうやってそれだけの高精度で東西を測ったんだ」という疑問が出るかもしれません。実は陸上なら東西を知るのは特別な技術を持たない古代人でも可能です。地面に棒を垂直に立て、その棒にひもを張って円を描きます。午前と午後の2回、棒の影の先端が円周上に来るので、その2点を結べばほぼ正確に東西となります。

(余談)月讀宮の衛星画像を見てて気づきましたが、4つの社の後ろには遷宮のためのスペースがあるんですね。

中央構造線と神籬から紐解く古代日本(2)

137の神に誘(いざな)われ

再び茶臼山の話。愛知県東端にある茶臼山も、やはり中央構造線の上にあります。前回、「中央構造線が石巻山のあたりから角度を急に変えて北上している」と書きました。茶臼山はその北上しはじめのあたりにあります。もし中央構造線を「東を向いた龍」に例えるなら、石巻山が首で、茶臼山は首と頭が繋がる延髄あたりになるでしょうか。
東経で言うと、137度39分。

余談ですが、東経137度の南北のライン上にはなぜか「羽根」または「羽」の文字がつく地名が非常に多いことが知られています。このことから俗に「羽根ライン」とも呼ばれています。今回はこの羽根ラインについては触れませんが機会があれば詳しく紹介したいと思います。

経度とは、説明するまでもありませんが、地球全体を見た時の、東西方向の角度のことですね。137度という数は、円周(360度)と137度の比が黄金比「1:1.618」であることから、黄金角とも言います。東経の基準となる東経0度は、イギリスのグリニッジ天文台がある経度を指します。つまり地球全体から見て、イギリス(グリニッジ)と、日本の茶臼山を含む東経137度は、ちょうど黄金角の関係にあると言うことができます。だから何だと言われたら特に何もないんですが、まあ、イギリスと日本は黄金角で結ばれる「美しい関係」だなぁ、と。

それはともかくとして、実際のところ、イギリスと日本は古代においてなんらかの深い結びつきがあったような気がしています。前回書いたように、レイラインの概念はイギリス人考古学者のアルフレッド・ワトキンスによって提唱され、その後、日本においても偶然の産物とはとても思えないレイラインが次々と発見されています。このようなレイラインを構築できる、高度な幾何学や測量術、航海術、天文学の知識を持っていた集団が古代にいたこと、そして彼らが日本にも来て、多大な影響を日本人の信仰と文化に及ぼしたことはまず間違いないと思っています。

その集団は、どこから来た、どんな人々だったのか。僕の神社めぐりの旅はつまるところ、彼らが何者で、そして日本の先住民族である縄文人と彼らがどのような繋がりをもったのか。それを知るための旅であるとも言えます。

以前から僕は、イザナギ・イザナミを祀る神社や関係する土地に行くと心が安らいで落ち着くと度々書いてきていました。神社では白山中居神社や平泉寺白山神社、花窟神社、真名井神社。地名で言うと恵那や熊野。イザナギ・イザナミの夫婦神・・・イザナ(137)の神と、その渡来集団とが深い繋がりがある気がしてなりません。その集団のルーツに迫るには、「陽の道しるべ図」が大きな手がかりになるはずです。ただ前回、陽の道しるべ図には二つほど事実と異なる点が含まれていることを書きました。それは「淡路島を中心としたレイラインを古代人が構築した」という事の本質まで揺らぐものではありませんが、なんだか気分的にスッキリしないので、特に冬至日の出の方角には那智大社ではなく花窟神社があることを明記し、また中央構造線も絡めた図を新たに作り、それを今後の考察に用いることにします。

それともう一つの重要な鍵が六芒星です。
2014年、まるで目に見えない糸に手繰り寄せられるようにふらっと辿り着いた三河の石巻山。そこで「六芒星が描かれた鏡」を見たことが、自分自身でも理由がわからないまま始めた神社めぐりの原点です。イザナギ・イザナミの夫婦神と六芒星。これらを繋ぐ物証として残るレイライン。今後の神社めぐりは、このあたりに絞り込んで考察して行くつもりです。

今年の年末詣は伊勢志摩へ

一年のうちもっとも夜が長い日である冬至。自然界のリズムでは、この冬至を境にして陰から陽へ転換する、つまり新たな一年のはじまりの日と言えます。したがって、冬至以降に初めて神社に参拝する時が「初詣」だと僕は認識しています。ややこしくなるので人に話すときは世間の認識に合わせて「年末詣」と言っていますけどね。

茶臼山で見た、伊勢志摩地方のまじないであるセーマン・ドーマンが頭の片隅にずっと残っています。そのため夏からずっと伊勢志摩が気になっていました。
というわけで、今年の年末詣として、明日から伊勢志摩へ行こうと思っています。
コロナの影響で例年よりは観光客が少ないとは言っても、年が明けてからになると、神社にはやはりそれなりに多くの人が来ることが予想できます。今はコロナ感染を避けるという意味でも、人の少ない年末にお参りすることに理があります。

伊勢神宮は、外宮→内宮という順序で参拝することはよく知られていますが、その前に禊として、東の海に面した二見興玉神社を最初に参拝するのが古くからの習わしだと言います。僕も今回は最初に二見興玉神社を参拝してきます。二見興玉神社には神の使いとしてのカエルの像もたくさんあるし、茶臼山のカエル館繋がりということで。

そして、冬は二見興玉神社の夫婦岩の間から登る月の出が綺麗なんだそう。偶然にも今年は12月30日が満月。今年もかなり仕事が忙しくて疲れた一年でした。コロナ禍で仕事を失う人も多くいる中、忙しいと言えるのはありがたい事ですね。