Posts in Category: 巨石

戌年~犬神(狼)の2018年~僕が神社めぐりを始めた理由(4)

前回:戌年~犬神(狼)の2018年~僕が神社めぐりを始めた理由(3)

石巻山登山から神社めぐりにハマりだしたのと同じ頃、まったく無関係のところから僕の神社めぐりに関係してくる出来事がありました。
2014年9月20日、こんな事故のニュースが流れました。

20日午前11時40分ごろ、大阪府交野市私市の「磐(いわ)船(ふね)神社」の境内で、参拝中の女性介護士(42)=大阪市平野区=が岩と岩の間にたまった水の中で倒れているのが見つかり、搬送先の病院で約2時間後に死亡が確認された。府警交野署は女性が岩と岩の間にかかる丸太橋から転落したとみて詳しい状況を調べる。

 神社は、巨大な岩が重なって洞窟のようになっている中を進む「岩窟巡り」で知られる。女性は1人で岩窟巡りに来ていた。(産経ニュース)
「岩窟巡り」中に転落? 神社で42歳女性が死亡 大阪・交野 – 産経ニュース

このニュースを読んだ当時にSNSに書いた僕の日記をそのままここにコピペします。


亡くなった女性の冥福をお祈りします。
「磐船」というキーワードにも自分でも理由がわからないまま敏感に反応してしまう今日この頃の僕。

神社のサイトを調べてそこの写真を見て、あっと思った。
磐船神社 岩窟拝観

この岩窟、夢で見たことがある。
ここだという確証は無いけどすごくよく似ている。
夢を見たのはかなり前・・・少なくとも5年以上は前だと思う。

印象的な夢だったから内容はよく覚えているんだ。
でもその夢を見たこと自体はこの写真を見るまで忘れていた。

写真を見て今またその夢を思い出した。
夢の中で、かなり年老いた竜か蛇のようなものに会った。
空中を漂っていたから竜なのかな。
その竜は何も言わなかったが、表情は悲しそうでもあり、恨めしそうでもあった。

サイトにはこうある。

『岩窟の出口の手前、真っ暗やみの洞窟の中には岩の間にいくつかの祠がお祀りされています。写真の白龍大神をはじめ、黒龍大神、金龍大神などの竜神様がお祀りされています。』

ここにはたしかに竜神が祀られているようだ。
そしてこうも書かれている。

『最近、岩窟内にながれこむ河川の汚濁、ゴミの増大により、岩窟の環境の破壊が急速に進んでいます。これはなにも当社に限った問題ではなく、地球的規模で問題となっていることですが、身近に直面すると一人一人の心の問題であることがよくわかります。』

僕が夢で見た竜が悲しそうだったのはこのせいなんだろうか。

この神社の祭神は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)か。
なんでだろう、さっぱりわからないが僕はここもいずれ行かなきゃいけない気がする。


ここで僕ははじめて「饒速日命」の名を知ることになります。「ここもいずれ行かなきゃいけない」と書いていますが、それから4年後の今もまだ磐船神社には行けていません(;・∀・)
というのも、磐船神社ではこの事故を受けて安全対策として「単独での参拝禁止」というルールが作られたんですよね。なぜだか公式サイトにはそのルールのことが載っていませんが、直接神社にメールで問い合わせたらたしかに単独禁止という返事でした。ぼっちがデフォの僕にとってこのルールはあまりにもハードルが高く、なんやかんやあって未だに行けていないというわけです。と言うか、この記事を書きはじめるまで再び磐船神社のことを忘れていました……笑
今年こそ行けるかな?誰か一緒に行って下さい(真剣)

さて、奇妙にも僕が夢で見た場所が磐船神社であり、その祭神が饒速日命だったと。
そして調べてみると、饒速日命は古代の豪族、物部氏の祖神であり、そして大神神社の祭神「大物主大神」も饒速日命と同一とされているという事がわかって二度びっくり。ここでまた点と線が繋がったわけです。

歴史の闇に埋もれた饒速日命と物部氏を祀る神社は全国的に見てもそれほど多くはありません。僕が調べている中で一つ気がついたことがあります。「船」と「星」という文字を含む神社や地名は饒速日命となにかしら関係があるようなのです。
饒速日命は天磐船に乗って空を駆け巡ったという古事から「船」はまだ比較的わかりやすいです。磐船神社のように今でも割とその信仰の痕跡は残っているようです。「星」は、縄文時代の日月星信仰の名残でしょうか。この星信仰は、どういうわけか表舞台から隠されやすいようです。

僕の家から車の数分の距離に、グーグルマップにも名前が乗らないほど小さな神社が3つあり、うち2つには星の文字がつきます。そしてその祭神がすべて饒速日命でした。

上から皇大明神社、星大明神社、星大明社。そしてこれまでのように地図上で線を引いてみると、この三社は完全に一本の線上にありました。ちなみにこの線を南にずっと伸ばしていくと、寸分違わず伊勢神宮外宮へと行き当たります。

ここからは僕の想像と言うか、空想の域を出ませんが……天磐船、そして饒速日命をはじめとする「速日」とつく神は、数千年前、あるいは一万年以上前の縄文時代において、隕石を星神として信仰した名残ではないでしょうか?
大きな隕石の場合、空気摩擦で剥がれ落ちた破片は直線的に地上に落下する(物理学的に実際そうなるのかは素人なのでわかりません)。もしもそうだとしたら、その破片が落下したそれぞれの位置に縄文人の星信仰の聖地が作られ、更に時代を経て星神社となってからも位置は変わらないので神社が直線状に並ぶことになる……。
あまり知られていませんが、長野県の御池山には隕石によってできた直径900mの巨大クレーターの痕跡が存在します。それほど大きな隕石でなくとも、数百年から千年ほどもあれば埋もれてしまうような小さなクレーターを作る規模の隕石落下なら、1万5000年に及ぶ縄文時代の長い歴史の中で幾度もあったことでしょうね。日本という国は地震や雨による土砂崩れや洪水、火山噴火が多いので、クレーターは極めて残りにくいのです。
光を放ち尾を引いて爆音とともに空を引き裂いた隕石は、その正体がわからない縄文人から見ればまさしく龍です。縄文と龍神信仰もまた深い関係にあります。

隕石が海に落ちれば津波が生じます。隕石と、その後にやってくる津波を縄文人が神として怖れ敬ったとしても不思議はありません。饒速日命は古代において男神・火の神であり、その対となる女神・水の神は瀬織津姫。津という文字に込められた意味はこう考えると自然です。
そして縄文時代からヤマト王権の時代へと移り変わっていく中で、大陸の思想、つまり精神よりも思考優位の思想が次第に日本に浸透していきます。「隕石や津波は凶事でありそれを信仰の対象とするのは野蛮」とされ、星神や龍神は封印されていった。饒速日命も瀬織津姫も信仰の表舞台から消され、特に瀬織津姫はいまは名前を目にすることさえもほとんどなくなった。……こういう推測はいかがでしょうか。

全国の星信仰の神社は存在にも気づかないほど小さいか、掃除もろくに行われないほど忘れ去られつつあります。星とつく神社があったら、ちょっと意識して祭神や由緒を調べてみて下さい。

名古屋市の「星の宮」という地名や、埼玉県所沢市の同じく「星の宮」という地名も確実に関連があると僕は見ています。今は縄文ブームの兆しがあるそうですね。それは思考優位に偏りすぎた人類が、精神優位であった縄文時代に深層心理下で惹かれはじめているからなのかもしれません。

年越し熊野旅(3)~続・上っては下る熊野の神社めぐり~

続いて訪れたのは、速玉大社の摂社とされる、神倉神社。538段もある急な階段をゼーハー言いながら上る。この階段は建久4年(1193年)に源頼朝によって造営されたそうだ。一番上まで上ると神倉神社のご神体であるゴトビキ岩がある。


神倉神社

熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地です。天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩があります。熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、この神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれています。二月六日には、奇祭「お燈祭」が行われます。
熊野速玉大社公式サイト

おそらく縄文時代からこのゴトビキ岩は磐座として信仰の対象とされてきたのだろう。今はもうその信仰の精神を受け継ぐ人がいないせいだろうか、特に神聖な気配は感じられなかった。磐座信仰で思い出されるのは水と六の旅 ~ 三重・奈良(3)で書いた、岩尾神社の恐怖すら感じさせる迫力を持った十字岩のご神体。僕はあのときこう記した。
「磐座というものはその場にいる人の思いや存在そのものと呼応・共鳴してはじめてその神性が保たれるのではないか」
いろんな磐座を目にするたびに、この考えはどんどん確信に変わってきている。岩や自然のすべての物は人の思いに呼応し、磐座は信仰する人がいなくなればやがてその神性も失われ、ただの岩になることもあるのだと。そしてかつては日本中にあったであろう神性を持つ磐座や自然崇拝の対象も、現代はそのほとんどがただの“抜け殻”になっているように思える。人の思いや意識が物質に影響を与えるという事象は科学の世界でも確認されはじめている。20世紀以降、科学と宗教の境目がどんどん曖昧になってきている。量子論では人の意識が物質世界に作用しているという、かつての常識とはかけはなれた説が常識になり、その世界観は般若心経などの仏教の根本教理と非常に似通っている。そう言う意味では仏教もまた宗教と言うよりは、この世の構造を説明する“科学”に近かったと言える。根本教理を忘れ形骸化した多くの仏教系宗派は僕はどうも好きになれない。神社は好きだが寺には微塵も魅力を感じないのはそういう点も深く関係している。

そんな物思いにふけっていると長い階段を上る間にかいた汗が急速に冷えて寒くなってきた。今風邪をひいては困るので下りることにした。上りよりも下りるときが怖かった。もっとも勾配がきついところでは60度近くはあるんじゃないだろうか?写真では伝わらないと思うが、感覚的には階段というより崖に近い。そのうえ手すりもなにもない。転落したらただのケガでは済まなさそうだ。高所恐怖の人には辛いものがある。僕?僕は高所恐怖初段の業前なので余裕で半泣きでしたよ。

熊野那智大社

次は熊野三山の二社目となる、熊野那智大社。神倉神社からまた南へ20km下る。無料の高速道路が通じているのでそんなに時間はかからないはずが、降りるところを間違えて太地町まで行ってから一般道を引き返すことになり、かなり時間をロスしてしまった。途中の道の駅でもらった那智大社のパンフレットを読むと、熊野古道の原初の姿にもっとも近いまま残されているのがこの那智大社の大門坂とのこと。今日は時間が無いので大門坂を上ることはできないが、またゆっくり時間を取れるときに来て、自分の足で大門坂の苔むした石畳を踏みしめながら上りたいと思う。そのパンフレットで、大門坂の入り口近くに南方熊楠が粘菌の研究のために3年間滞在した旅館跡があることも知った。熊楠は那智の原生林の伐採計画があると聞いて大反対し、原生林の保護に奔走したとも聞く。熊楠は僕にとってもとても興味深い人物で、早くから仏教の本来の思想は西洋科学以上に高度な“東洋科学”であるということに気付いていたと思われる。“南方曼荼羅”と呼ばれている図など、熊楠の研究を追ってみると何か新しい発見がありそうな気がするので、このブログでもいずれ熊楠についての考察を書くことになるかもしれない。一番上のお土産屋の無料駐車場に車を停めた。その店で買い物をし、店の人に「このまま車を置いて参拝してきていいですか?」と聞くとOKとの返事だった。

車で那智大社の社殿まで来られるのだと思っていたら実はそうではなくここからまた長い階段上りが待っていた。後でネットで調べたら467段あったらしい。勾配はゆるやかなのでまだ良かったが、それでも神倉神社の後での467段はさすがにちょっとこたえた。雰囲気は悪くない。神気漂うという感じではなく、観光地としての楽しい雰囲気だ。

熊野那智大社

田辺市の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社とともに熊野三山の一社です。全国約4,000社ある熊野神社の御本社でもあり、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社です。古来当社はご祭神「熊野夫須美大神」の御神徳により「結宮(むすびのみや)」と称され、人の縁だけでなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められました。那智御瀧は自然を尊び延命息災を祈る人が多く、また八咫烏の縁起によりお導きの神として交通・海上の安全の守護を祈り、さらに御神木の梛の木は無事息災をあらわすものとして崇められています。熊野の自然と共に神々の恵み深い御神徳のある神社であります。
熊野那智大社由緒

那智大社拝殿。ここも速玉大社同様に仏教色を強く感じる。僕の神社めぐりと関係するかといえば、多分関係しない。時計を見ると14時だった。少しゆっくりしすぎていたかもしれない。日が暮れる前に玉置山山頂までたどり着きたい。手短に参拝を終えて、少々早歩きで一旦車のあるお土産屋まで戻った。

しかしまだ那智の滝を見ていない。那智大社に来て滝を見ずに帰るなんてありえない。時計を気にしながら、お土産屋から10分ほど歩いて坂道を下ると、那智の滝をご神体とする飛瀧神社がある。

行きは急いでいたせいか気付かなかったが、あらためてこの飛瀧神社の鳥居の前に自分の足で立ってみると、ここには速玉大社や那智大社では感じられなかった神気が鳥居をくぐる前からすでに強く感じられた。そう!これだよ、僕が望んでいたのは。午後の日の光は杉の大木に遮られ、参道はかなり暗い。その参道を降りていくとしだいに轟音とともに輝く滝が現れた。こちら側が暗いからこそ日の光に照らされた滝が一段と光り輝いて神々しく見えた。これは人間が演出しようとしても不可能な、自然が作り出す美だ。ここにも確かに神がいると感じられた。この日、この時間に来られた事に感謝した。

通行料300円を払えばもっと滝の近くまで行けるらしい。今日は時間がなかったのでこれも次回来た時の楽しみにとっておくことにした。緑の濃い季節に大門坂から歩いて上り、時間を気にせず気の済むまでゆっくり那智の滝の気を全身で浴びたい。気持ちがいいだろうなぁ~。この飛瀧神社の鳥居から滝へも130段の階段がある。那智の滝を見られてまた元気になった僕はその130段を早足で一気に上った。

那智山を下り、一度新宮市まで戻ってから新宮川沿いの168号線を西に向かった。

熊野本宮大社

那智山から熊野本宮大社へは距離にして55kmの中距離ドライブとなる。やはり少しゆっくりしすぎていたようで、熊野本宮大社をちゃんと参拝するにはもう時間がなさ過ぎた。位置的には今回の旅の主目的である玉置山への道のちょうど途中にあるので、寄るだけ寄ってみる事にした。

熊野本宮大社

全国の「熊野神社」の総本宮にあたる熊野三山。三山の中でもとりわけ古式ゆかしい雰囲気を漂わせるのが、聖地熊野本宮大社です。熊野参詣道のなかでも、多くの人々がたどった「中辺路」を歩くと、難行苦行の道のりを終え最初にたどり着くのが熊野本宮大社です。最初に熊野本宮大社を望む「伏拝王子」の名は、やっとたどり着いた熊野大社を伏し拝んだ、との由来からと伝えられています。この熊野本宮大社は、平成7年には社殿が国の重要文化財に指定されました。本殿へと続く158段の石段の両脇には幟がなびき、生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせます。
総門をくぐると檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわします。向かって左手の社殿が夫須美大神(ふすみのおおかみ)・速玉大神(はやたまのおおかみ)の両神。中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)。そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られており、交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿の神として人々を迎え入れてきました。かつては、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありましたが、明治22年の洪水で多くが流出し、流出を免れた上四社3棟を明治24年(1891)に現在地に移築・遷座しました。
熊野本宮大社公式サイト

15:40頃に到着。参道前の大駐車場のほかに本殿近くにも小さな駐車場があったのでそちらに車を停めた。もし那智大社のように駐車場から拝殿まで時間がかかるようだったら諦めようと思っていたので助かった。熊野三山の中ではこの熊野本宮大社がもっとも日本の神社らしい雰囲気を漂わせていた。やはり僕の神社巡りと直接関係してくることは無さそうだが、観光としてまた来たときにはちゃんと参道を通って参拝してみたい。

前:年越し熊野旅(2)~上っては下る熊野の神社めぐり~
次:年越し熊野旅(4)~玉置山の星空~