戌年~犬神(狼)の2018年~僕が神社めぐりを始めた理由(1)

前回:戌年~犬神(狼)の2018年~僕と発達障害とwolftones(2)

毎度ながらまた間があいてしまいましたが続きを書いていきたいと思います。

wolftonesの「聖地」

wolftonesという名は僕自身が考えたというよりは、なにか他所から僕の頭のなかに入ってきて閃いたような感じでした。
時は2014年のゴールデンウィーク前。GWの連休にはどこかに旅行に行きたい、でも誰でも知っているような観光名所に行くだけの旅には僕はあまり興味がありません。何か旅のテーマがあると面白いなと考えた末、「wolftonesの聖地を勝手に認定してそこに行く旅」というテーマを思いつきました。聖地と言っても神や信仰などといった話ではなく、要はアニメやドラマでよくある「○○の聖地」のように軽いノリの、ちょっとした遊び心で思いついただけの旅のテーマでした。

wolfは狼なので、狼に関係する神社が日本のどこかにあるかもしれない、もしあったらそこを聖地にしよう、というような言葉遊びをしつつ調べました。そしてGoogleで「おおかみじんじゃ」と入力して最初に出てきたのが、奈良の大神神社でした。大神と書いて「おおみわ」と読みます。この時点では僕はまだ大神神社はもちろん、神社や神道についての一般的な知識さえ持っていませんでした。大神神社について少し調べてみると、日本最古の神社だとか、なんだか色々とすごそうな事が書いてあります。ここを勝手にwolftonesの聖地にしようと決め、GWの旅の計画を練ることにしました。

しかし、予定日が近づけば近づくほど、そして大神神社について調べれば調べるほど、行く気がどんどん萎えていきました。一言で言えば怖くなってしまったのです。「ここは遊び気分で軽々しく行って良い場所ではない」という思いを心の奥に感じ、それが日増しに強くなっていきました。いわゆる畏怖の念ですね。

最終的に大神神社に行くのは断念しました。とは言え、一度決めた「聖地の旅」の思いは捨てがたく、代わりになるいい場所はどこかないかな~……というようなことをSNSでつぶやいていたら、ある人が「愛知県一宮市にも大神神社があるよ」と教えてくれました。

早速GoogleMapで調べてみると、たしかに僕の住む稲沢市の隣の一宮市にも大神神社があります。
そしてなんとなく、奈良の本家大神神社と一宮市の大神神社とを直線で結んでみると、ほぼ正確に南西-東北方向にきれいに結ばれました。
この直線を見ていると、さらに一宮市の大神神社から今度は鏡写しに南東方向に直線を引いてみたくなりました。
その線の先に何があるかまったくわからないけれど、とにかくその先にある場所をGWの旅の目的地にしよう。直感的にそう思いました。
この時なぜ南東方向に線を引こうと思ったのか、自分でもわかりません。なんとなくそうしたかったから…としか表現できませんが、今考えるともしかしたら何かが僕を導いたのかもしれないという気もします。

その線を地図上で辿って最初に気になった場所が、石巻山という、愛知県東三河にある山です。名前も聞いたことのない山でしたが、この名前に何か惹かれるものを感じ、自然や登山が好きな僕はこの石巻山をGWの旅の目的地に決めました。マイナーな山なのでGWでも人はそれほど来なさそうで、静かで良いかなとも思ったからです。

石巻山から始まった神社巡り

石巻山についてネットで調べてみて、とても驚きました。
「奈良の三輪山(大神神社)の社伝には、三河の石巻山が三輪山の『奥の院』である旨が記されている」という情報を見つけたからです。もちろん僕はそんなことはまったく知りませんでした。真偽は不明です。真偽を確かめようにも、僕のような一般人が大神神社に社伝を見せてくれと言って見せてもらえるものでもないでしょうしね。
ただ、なんの知識も持たなかった僕が大神神社から石巻山へと直感によって導かれるようにたどり着いた事と、このネットの情報とが不思議にリンクしている気がして、確証こそないものの、両者にはなんらかの関連性があることは確かだという感覚だけはありました。

そうこうしているうちにGWの連休に入り、僕は石巻山に登山に出かけました。
ここからは当時書いた日記をそのまま引用しつつ書きます。

5月4日、晴れ。
朝4:00に起きて出発の準備をしていると、早くも空が白んできました。日の出が早くなりましたね。高速道路は渋滞しているだろうと予想し、R23→R1ルートで豊橋へ。朝早いこともあり道はとてもすいていました。

7:30頃、豊橋市に到着。石巻山は、遠くからでも一目でそれとわかる、本当にきれいな三角形をしていました。写真だと雰囲気があまり伝わらないかもしれませんが、実物を見たら「緑のピラミッドだ」と誰もが感じると思います。はるか昔から信仰の対象にされていたのも頷けます。

まず石巻神社下社へ参拝してから石巻山登山口へ向かいました。その途中で、「ほっとい亭」というとろろ汁のお店がありました。そのお店のたたずまいになんとも言えない懐かしいような心地よさを感じて、開店前なのに思わず駐車場に車を停めて、ぼんやりとその心地のよさを楽しんでいました。

でもぐずぐずしていると石巻山に人が来てしまうかもしれないので、すぐに登山口へ移動。
幸い僕の他には家族連れが一組来ているだけでした。8:30頃、登山開始。

山の中腹に、小さな祠があります。

この祠にあった、六芒星が描かれた鏡?こそ僕の神社巡りの原点です。これを見て、理屈ではなくやはり直感的にですが「僕は今後の人生で六芒星を追う」という気持ちに自然となっていきました。
よく見るとこの六芒星は下向きの三角が二重線になっています。理由はわかりませんがなんらかの意味があるものと思います。なお僕はこの後にも2回、石巻山に行っていますが、六芒星の鏡を見たのは2014年のこの時が最初で最後です。
ここだけでなく、なぜか近年になって全国各地の神社で次々と六芒星が消され、あるいは隠されているようです。伊勢神宮の灯籠、籠神社の絵馬、真名井神社の石碑など……。
もちろん個々の神社の方針がたまたま重なっただけの、単なる偶然という可能性もあります。しかし僕はどうもなにか共通の意図による「六芒星隠し」のような気がして仕方がないんですよね。そうだと仮定した上で個人的にはその理由についてもひとつの仮説を立てていますが、現段階では僕の妄想に過ぎないかもしれないので、このブログにはもう少し具体的に何かわかってから書こうと思います。

この祠から上の山域は、気配がガラリと変わります。まるで巨大な緑色の生き物の体内に入って螺旋状に登っていくかのような感覚。石巻山はまるで、山に化けた龍体のような。以前のエントリで東三河は水の中のような空気感と表現しましたが、石巻山は僕の中で「三河という海の底に鎮座する龍宮城」というイメージですね。

再び日記から引用。

下山して、またすぐにふもとのとろろ汁屋「ほっとい亭」駐車場に来ました。
ここにいると本当に落ち着く。

時計を見ると10:20。
開店は11:30なので、まだ1時間以上も時間があります。
ここで食事をするか考えていると、僕の直感(右脳)と理性(左脳)が言い争いをはじめました。

左脳「一番安いメニューのとろろ汁定食でも1500円と書いてあるぞ。とろろが食べたいわけでもないのにちょっともったいないんじゃないか?」

右脳「いや!今日はここで食べるんだ!」

左脳「開店と同時に入ったらたぶん店主と言葉を交わすことになるぞ。そういうの苦手だろ、いいのか?」

右脳「いい!」

左脳「開店までまだ1時間以上もあるぞ。石巻山以外にも行きたい所があったんだろう?時間が無駄になるじゃないか」

右脳「もう他なんてどうでも良くなった!ここで食べるべきだ!」

右脳の声は普段はとても小さくて聞き取れない事もしばしばなんですが、この時の右脳は全力で左脳の意見を否定していました。
結局僕は右脳に従い、開店まで待つことにしました。

このほっとい亭の店主との出会いもとても不思議な縁を感じるものでした。
続く。

戌年~犬神(狼)の2018年~僕と発達障害とwolftones(2)

三峰神社

戌年~犬神(狼)の2018年~僕と発達障害とwolftones(1)の続きです。

wolftonesは発達障害者が自らの秘めたポテンシャルに気付くきっかけを提供する

wolftonesの趣旨は 本来卓越した集中力や発想力を持ちながら、社会の枠に収まりきらないためにダメ人間のラベルを貼られ自己肯定感が持てなくなっている発達障害の人々が集まり、主に創作活動等を通じて楽しみながら自身のポテンシャルの高さに気付く事 です。僕自身、未だ人間不信(対人恐怖)から完全には脱しきれていないことと、本業の仕事による疲労などでなかなかあと一歩が踏み出せませんでしたが、今年はより積極的に人と関わってwolftonesプロジェクトを実行に移していきたいと考えています。

創作活動のワークショップのような当事者会は、探せば全国的にいくつか見つかります。それらの当事者会とwolftonesは一見すると趣旨が似ていると思われるかもしれませんが、大きな違いがあります。既存の当事者会があくまで交流のきっかけとして創作活動を行うのに対して、wolftonesの目的は「発達障害者は本来非常に高いポテンシャルを秘めているという事を世に示す事」そして「画一的な枠に当てはめる雇用という古い形態ではなくそれぞれが個人事業主となってネット販売等を通じて収入を得る等、これからの時代に即した新しい働き方を模索する事」にあると言えます。

もちろん発達障害者全員が特別な才能の持ち主という事はありません。ですが「能力を秘めているのに画一化教育によって能力がないと思い込まされている発達障害当事者」が多数いることもまた事実。そうして埋もれている能力を当事者自身によって可視化して行きます。wolftonesの趣旨に賛同する人を集め、方法論を模索するところから徐々に初めて行きます。人を集めるのは、三人寄れば文殊の知恵の諺どおり知恵を集めるという意味ももちろんありますが、もう一つ重要な意味があります。

主にADHDタイプの人にありがちな話で、一つの事に集中力が続かずある物事の完遂直前あたりで急に他の事に関心が移ってしまう時があります(これも僕のことだったりする……)。これは何人かが集まって互いにチェックしあうことで、「もう少しで完成だからあとちょっと頑張ろうよ」といった感じで声をかけあえば、完遂できる可能性が高まります。
また、ASDタイプの人であれば、興味の対象が非常に限定的である場合が多く、他者と共同でなにかを行うのが苦手。そして作品が出来た時に、それを世の中にアピールする事も不得手とするため、その才能が生活の糧になるチャンスがあることに気付かないままになっている場合があります。ヘンリー・ダーガーやフィンセント・ファン・ゴッホはその典型的な例と言っていいでしょう。二人ともASDだったという研究者の指摘があり、作品が脚光を浴びたのは死後で、その人生は最後まで孤独でつらいものだったと言います。

wolftonesは、ダーガーやゴッホのように埋もれている人が孤独のトンネルから抜け出るためのポータルでありマッチングシステムとして機能する存在を目標にします。

ちなみにエジソンやピカソはADHDタイプと見られており、このタイプの人はセルフプロデュースと売り込みの才能を持っている場合も多いです。このピカソタイプの人とゴッホタイプの人が組んで互いの欠点を補い合えば最強のタッグになり得ます。

なお誤解のないよう念のため言うと、これはタイプ別で例えた話であってwolftonesの活動からピカソやゴッホのような人物を輩出しようという気は毛頭ありません。そうなれば素晴らしい事ですが、目的はそこではなく、当事者が人生を楽しめるようになれば、もうそれで十分成果が出たと言えます。

というわけで、wolftonesの活動の第一弾は、まず僕自身が「wolftonesのポータルサイトを作る」事。応援してもらえるとありがたいです。

天使と悪魔、ふたつの顔を合わせ持つ六芒星のような倍音

(1)で、wolftonesという名の語源は“倍音”が関係していると書きました。僕の記事は毎度長文で疲れるでしょうから、ここらで倍音成分が豊富なグラスハープの演奏でも貼っておきます。とてもリラックスできる音です。

グラスハープをはじめ、倍音は人体に良い影響を与えるという研究結果があります。

天上界を思わせるようなこの音色に多くの人が引きつけられ、トーマス・ジェファーソンやゲーテ、パガニーニといった著名人も「天使の声」などと絶賛した。アルモニカの発明者であるベンジャミン・フランクリンは毎夜のように演奏し、その音で目を覚ました妻は「自分が死んで天国に来た」と勘違いしたというエピソードも残っている。
しかし、19世紀になると音楽の流行の変化や楽器の持ち運びの難しさから衰退していき、独特な音が「人間の神経に悪影響を及ぼすのではないか」といううわさも流れるようになった。一時は天使にも例えられた楽器は、悪魔の楽器とも言われて禁止されるようになり、さまざまな要因も手伝ってついには姿を消してしまう。
(中略)
「ワイングラスから作らなければ存在しないし、持ち運びは大変、すぐに割れるということもあって、特に梱包の際はいつも辟易する」けれど「楽器の持つ不思議な魅力や音色の美しさにはやはり並ぶものがないように思える」

天使と悪魔の楽器「グラスハープ」の音色が人体に与える影響とは?

ここまでで発達障害とwolftonesの話はとりあえず終わりですが、ここから僕が神社めぐりをはじめた理由へとまだまだ話が続いていきます。僕が神社めぐりをはじめたきっかけもまたwolftonesなのです。
そちらも読んでもらえるとうれしいです。

戌年~犬神(狼)の2018年~僕が神社めぐりを始めた理由(1)へ続く。