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戌年~犬神(狼)の2018年~僕が神社めぐりを始めた理由(2)

ほっとい亭駐車場に車を停めて一時間が経ちました。
11:30の開店時間になっても僕のほかにお客さんは来ません。

店主が店から出てきて、表の看板を「営業中」に変えました。きっと僕が一時間前からここに居ることにも気付いていたんでしょう、招くように僕のほうを見るので、やや緊張しながらお店に入りました。

店内は外よりもさらに居心地に良い空間でした。床は土。内装は古い民家のものがそのまま使われているようでした。テーブル席のほかに八角形のいろりがあり、それを囲うように丸太を切った椅子。僕はそこに座りました。

店内はその雰囲気に加えて、独特の香りが漂っていて、それがなんとも言えない良い香りでした。フルーティで、人工的ではない優しい香り。化学合成したアロマなどでは決して出せない香り。「この香りはなんだろう?」と正体を探ると、どうも店内左手の「ぎゃらりい邑鬼」と書かれた部屋から香ってくるようでした。

とろろ汁定食もお店と同じくとても優しい味で、おいしくてすぐに完食。

「店内の写真を撮ってもいいですか?」と僕が尋ねると、店主の今井さんは「いいよ」と言ってくれて、そこから会話がはじまりました。僕が石巻山に来た経緯を話すと、驚いたことに今井さんは奈良の三輪山と石巻山の繋がりのことを知っていました。そこで、Googleマップで僕が見つけた三輪山・一宮大神神社・石巻山を結ぶ三角形を今井さんに見せました。

「これを自分で見つけたの?へえ、俺はこれは知らなかったな。俺もこういうことをずっと調べていたんだよ。串呂学と言ってね、宮城の石巻とも繋がるよ」

まったく予想もしていなかった展開です。

地理上のポイントを、団子を串に刺していくように繋げていくところからこの名がついたらしいです。真偽は不明ですが、神皇正統家極秘伝の学問だとかなんとか…。ここから僕と今井さんの話はどんどん広がっていきます。今井さんは僕を「ぎゃらりい邑鬼」に案内してくれました。心地よい香りの正体は、貴重な天然木のお香「白檀」でした。

今井さんの本職は建築の設計士。建築の専門家の観点から、縄文時代の住居について考察されていました。
以下、今井さんの話を概略で書きます。

「縄文時代の暮らしはその後の時代よりも劣っているというのが歴史学の常識だが、とんでもない話で、縄文時代こそ人々がもっとも豊かだった」

「“所有”という概念が人間に余計な苦しみを負わせる。土地やお金などの財産を持っていると、災害が起きても財産が心残りで移住したくとも簡単にはできない。縄文時代の住居の真髄は屋根を作る技術だ。家そのものは、斜面に穴を掘るだけ。そこに屋根をポンとかぶせれば、快適な家ができる。災害ができて家がつぶれても、人間がその屋根に押しつぶされることはない。土地を所有すると言う概念が最初からないので、どこにでも好きに移住して、また穴を掘って屋根さえ作ればそれで移住は完了する」

「土地や家を所有すると言う概念が無ければ、家に入るものも家族単位ではなく、集団単位での暮らしになる。そこで知恵と知識の共有と口伝が自然な形で行われる。知恵のある老人が若いものに知識を与える。各住居が家であると同時に優れた学校でもあった。家は個人の所有物ではないので、誰かが死んだら誰かが新しく入る。そうして次の世代へと受け継いでいった」

「どこにでも移住できるという事は支配する者からしたら不都合なので、後から来た弥生人は“所有”という概念を作ることによって人々を土地に縛り付けた。“所有”という概念が争いを生むことにもなった。それは現代にも続いている」

「縄文時代の名の由来となった“縄の文様”は、命の螺旋を象徴している。まな板にも縄文を彫っていた。命を頂けるということのありがたさの本質を理解する高度な精神性を持っていなければこの文化は生まれない。弥生時代以降、この縄文は消えてのっぺりしてしまった」

僕はうんうんと頷きながら話を聞いていました。

ほっとい亭に集まる不思議な人々と串呂学

今井さん自身は霊能者でもなんでもないが、なぜかほっとい亭では不思議な縁で、まったく見ず知らずの人々が次々に繋がっていくのだそうです。今井さんはかつて、ほっとい亭で起きる出来事を記録としてまとめて本にして出版していました。

ある時、「天狗総裁」と名乗る人が来て、わけのわからないメッセージを残していったと言います。今井さんは意味もわからないままそのメッセージをメモに書きとめ、それも本に載せました。僕もその本を見せてもらいました。茶色く色褪せていて、非常に古そうな本です。

・熊野がすべての鍵となる
・竜、牛、船、牟炉、鬼
・熊と星が結びつく
などと書かれていて、本当に意味のわからない言葉が並んでいます。

その中で、今読むと意味があると思える文章がありました。

・2001年年9月に起きる大きな事件をきっかけに世界が変わる

これってニューヨークの同時多発テロの事?
僕自身、これはさすがににわかには信じられませんでした。しかし本が捏造だとも思えません。天狗総裁と名乗る人物がどこの誰なのかもわかりません。いずれにしろ、この本にはそういった「重大な内容」が書かれていたために、その後、エセ霊能力者など、いかがわしい人たちまでが今井さんの周囲に集まるようになってしまったんだそうです。それで今井さんは「この本は世に出すべきではない」と思い、10年ほど前(これは2014年の話なので今からだと14年ほど前になります)、1巻と2巻を本屋からすべて引き上げたとのことです。
僕に見せてくれた本は現存する貴重な一冊だと思います。

そして2011年に起きたのが東日本大震災。今井さんは原発などについていろいろ考え、このままでは日本という国が滅ぶと再び考えをあらためて、また本を書く事にしたそうです。そうして出来たのが3巻。

今井さんは僕にその3巻を無料で譲ってくれました。3巻には、ここ数年でのほっとい亭での人々との不思議な交流記録と、その彼らが残していったメッセージについての今井さん独自の串呂学的解釈などが書かれています。

・古代のたたらば(製鉄所)
・ピラミッド型の山容を持つ山、神社、その他信仰上重要とされる場所
・地震と原発
それらが串呂学的解釈ですべて繋がると今井さんは考えているようです。

この串呂学とはそもそもどのような理由で生み出されたのか、と言う点に僕は興味があります。現代人からすると「すでに存在する地理上のポイントを繋げる」という行為になるわけですが、本来は逆で「ある重要構造物を作る際にどこに作ったら良いか」を考える学問が串呂学だったのではないか……とも思います。イギリスなどでも聞く「レイライン」という概念と通じるものがありますね。
また、これは僕個人の考えですが、地理上のポイントをつなげる時に「自分の意思」が介在しないように注意する必要がありそうです。「こことここが繋がっていって欲しいな」という、自分でも気付かないような意識が邪魔をして、意味も無い線を描いてしまうことがないように。

これからの時代“本物”を知ることの意味

今井さんは、今の世の中は嘘とまがい物ばかり、ほとんどの人が“本物”を知らない言います。僕も同感です。歴史上の定説がウソだらけだということ。歴史だけでなく学校教育でもものごとの本質をほとんど何も教えていないという事。世界中の神も宗教もほとんど全部がまがいもの(唯一日本には貴重な本物が残っている)。労働は人間が向かうべき方向性の仕事に従事している人は数少ない。精神上の格差が広がれば広がるほど、物質的にはのっぺらぼうの世の中になります。

ほっとい亭には、意図せず“本物”が自然に集まってくると言います。「なぜこのような田舎の一料理屋が、貴重な本物の白檀をお香として使えるのか?」という素朴な疑問の答えも今井さんが僕にくれた本に書かれていました。

今井さんは木で彫り物を作ることも得意としています。20年ほど前、外国航路の航海士をしていた友人が小さな白檀の塊をお土産に持ってきたそうです。今井さんがそれをナイフで削りながら香りを楽しんでいると、お客さんの一人が「お香に興味をお持ちのようですが、白檀の原木を見たことはありますか?」と尋ねてきた。
数日後、その人から大きな白檀の原木が今井さんのもとに届けられました。その人は白檀で筆を作ることが夢で、原木はそのために昔インドから輸入した数本のうちの1本でした。そして「この白檀の原木で石巻の神様を彫って欲しい」と言うのだそうです。
今井さんは貴重な白檀を彫るほどの技術は無いからと断ったものの、「中がどうなっているか見たいから切ってほしい」というお客さんの願いで切って見ると、大黒様が打ち出の小槌を持っているように見えたと言います。原木を返そうとすると、その人は「これもなにかの縁なので、石巻山のために活かしてください」と置いていったそうです。それ以来の縁で、貴重な白檀の原木を頂けるようになったということです。

現在、日本中のお店で売っているほとんどの白檀は、化学合成した香料を混ぜた「まがいもの」。だから、本当の白檀の香りを知っている人は少ないんだ、と今井さんは言います。なんと小袋に入った白檀の粉まで「話を聞いてくれたお礼」ということで僕に無料でくれました。この香り、本当に心が落ち着くのでストレスが溜まったときなどにいいです。あれから4年経った今でも変わらず良い香りがします。

ほっとい亭で使う自然薯についても、同様のエピソードが。近くに天然の自然薯が育つ1800坪の山を持っていたご老人が、「石巻のために」とその土地を今井さんに譲ってくれたんだそうですよ。これは今の時代つい「うらやましい」と思ってしまうエピソードですが、縄文時代はこれが当たり前だったそうです。縄文時代は“所有”という概念が無く、土地もそこでとれるものもあくまで地球からの恵みのもの、借りているもの。自分が管理できなくなったら他の人に譲る。それが本来の人間のあり方として自然なことで、今の時代が不自然なのだと今井さんは言います。

本物を知らない人間が増えたので、まがいものが平気な顔をして世の中で流通してしまう。まがいものが流通すれば世の中はどんどん悪くなっていく。だから本物を知る人間がもっと増えていってほしい。今井さんはそう願っていました。これは物質的な意味だけでなく精神的な意味も含めてだと思います。と言うより精神がはじめにありきで、物質は後から付いてくるものですね。

結局この日、二時間半も今井さんと話し込んでしまいました。と言っても僕は自分の考えを音声で言葉にするのが苦手なので、ほとんど聞き手専門でしたが。おなかも心もいっぱいに満たされたので、予定していた他の三河探索は中止してそのまま帰宅しました。
続く。