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戌年~犬神(狼)の2018年~僕と発達障害とwolftones(1)

_MG_1516狼を守護神とする三峯神社の三ツ鳥居

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

上の写真は、昨年の夏の旅で参拝した三峯神社の鳥居です。特徴的な形をしていますよね。
三峯神社は個数限定の「白い氣守」を求める人の大行列がたびたびテレビでも取り上げられるなど、今や全国的に有名になりました。
この元旦もさぞかしすごい行列ができたんでしょうね。

僕が昨年、三峯神社に行こうと思った理由はお守り目当てではなく、ここが狼を神の使いとする神社だったからです。
今回はその話をします。

「狼や神社が発達障害とどう繋がるんだ?」と思われるかもしれませんが、少なくとも僕にとっては今後の人生を左右するほど極めて重要な繋がりがあります。毎度ながら長文になりますが、最後まで読んでもらえればきっと「そういうことか」と思ってもらえるはずです。

狼信仰を持つ東の三峯神社と西の玉置山

三峯神社の特徴的な鳥居は「三ツ鳥居」と言い、日本最古の神社としても知られる奈良の大神(おおみわ)神社と同じものです。
「大神」は言霊として「狼」と繋がりがあり、また「みわ」は古代の豪族「三輪氏」と繋がります。

そして三と鳥居と言えば、去年は三柱鳥居についての記事をいくつか書きました。
三柱鳥居も僕にとって非常に興味深いものであり、そのルーツは大神神社と同じ奈良の玉置山にあるのではないかという仮説を立てました。
熊野旅後記(2)~美濃の怪物伝説と艮の金神:玉置山の玉石社は全国に点在する三柱鳥居の原型か

玉置山の信仰も三峯神社と同じく狼と深いつながりがあります

数百人~数千人規模の小さな集落であった縄文時代には、三柱鳥居とその中心に積まれる石組み「神座」を神の依代として参拝するという様式であったのが、やがて人口の増加とともに大人数の参拝にも対応できる様式へと変化していったのではないかと推測します。
三柱鳥居は横に広がって三ツ鳥居という「門」の形態に変化し、その奥に神座に相当する本殿、それを拝する拝殿とそこに到る参道という風に次々と様式が作られて行き、さらに三ツ鳥居の左右が省略されて現在一般的に見られる「鳥居」になったのではないか……そんな風に想像します。

ラテン語や古典ギリシャ語で三を意味するtri(トライ)という数詞があります。trident(三叉槍)やtriangle(三角)のtriですね。
鳥居の原初の形態が三柱鳥居および三ツ鳥居という前提で考えるなら、鳥居というものは三という数と切っても切れない関係にあることになります。だとすれば、ラテン語/ギリシャ語の「tri」と「トリイ」という二つの語のルーツは同じところにあり、最初に発音としてトリイという言葉があって、その後、大和朝廷の時代に入ってから鳥居という漢字が当てられたではないか、と思ったりもします。
triなどの古い数詞はそれ自体、起源がはっきりしているわけではないので、文献に残されていないほど古い時代に大陸と日本とを行き来していた民族があったとしても不思議ではないです。これはまあ、あくまで空想です。

僕は三という数が好きです。
僕のハンドルネーム「悠」は、発想のもとはアルファベットのYとUUでした。三叉の「Y」と、水瓶座のシンボルである二本の波線をイメージした「UU」を組み合わせたものです。それを読んで「ゆう」。さらにその音から悠久をイメージする「悠」の漢字を当てました。

水瓶座のシンボルの二本の波線は、男性性と女性性の両立を表していると言います。僕はジェンダーとしては男性ですが、感性の部分では女性寄りであるような気がします。水瓶座のシンボルと同じです。
そして三叉の「Y」は、深い意味を込めたわけではなく、単にイメージとして好きな形だったから選んだだけなのですが、今になって思うと、古代の「三」に絡む物事を探求する人間として深層心理にそのイメージが刻まれていたのかなとも思ったりします。

また、同じく僕の探求の旅と深いつながりのある籠目紋=六芒星は、上向きの三角形と下向きの三角形を組み合わせた図形です。これもやはり相反するエネルギーの両立や調和を意味すると言われています。男性性と女性性、陰と陽、プラスとマイナス、火と水。六芒星のキーワードは「調和」です。

「発達障害」に代わることば

唐突に発達障害の話へと移ります。くどいようですがちゃんと狼や神社の話と繋がるので笑
発達障害は広義では知的障害なども含みますが、ここでは知的障害のない自閉スペクトラムやADHDなどの、見た目には障害とわからない障害だけを指して便宜上「発達障害者」と書きます。

僕も発達障害(PDD)の当事者であり、発達障害者のためのSNS、PDDSNSを数年前から運営しています。
実は当初から「発達障害」という言葉をあまり使いたくないという思いがありました。

この障害は社会との関係次第であって、発達上の特性を持っていても社会とうまく折り合いをつけて生活できている人なら障害とは呼ばないし、逆に軽度でもそれが社会に馴染めない要因となっているなら障害です。

理想は、発達障害者全員が、特性を持っていても困ることのない社会……つまり「発達障害者という言葉の存在しない社会」です。
しかし現状では、発達障害者を定型発達者向けに用意された枠に無理やり押し込める方向での支援しかないというのが実情で、ごく一部の企業などでは発達障害者の特性の優れた部分を活用しようという動きもあるにはあるもののの、当事者がそういったところとうまくマッチングする機会は砂漠でダイヤモンドを探すくらい困難で、当事者にとって理想の社会にはまだまだ程遠いものがあります。

社会が変わることを、変わるかどうかもわからないまま指をくわえて待っているわけにいかないので、当事者自身ができることはないかと色々と考えてきました。PDDSNSを運営していてまず気付いたことは、発達障害当事者のほとんどは自尊心と自己評価が著しく低いということです。
これは間違いなく、幼少期からの生育環境が強く影響しています。
ラベリング効果という心理学のことばがあります。「あなたは○○だね」と何度も繰り返し聞きば聞くほど、その○○になっていく、といった効果です。

「お前は勉強ができないダメなやつだ」などの言葉を幼少期から親や教師などから浴び続けると、本当は出来るのに、自分は出来ない子供であるという洗脳を受けた状態になってしまいます。ちなみにこれは僕の子供時代の実話。自尊心をことごとく踏みにじられた僕は13歳から5年間も引きこもり、この洗脳から脱却するためにさらに10年以上の月日を要しました。今も本当に脱却したと言えるのかどうかわかりません。僕を評価する人が現れると、心の奥底で「これはウソだ、僕は評価されるような人間じゃない」という自己否定が顔を出し、全て投げ出して逃げたくなる時があります。実際にそうして成功するチャンスを逃した事があります。

ラベリング効果の影響は言葉だけに限らず、たとえばある犯罪を犯した者が、薄汚れて罵詈雑言の飛び交う刑務所に収監されると、その環境そのものがラベリングとなり、自身の中の「犯罪者ラベル」をより強固にし、犯罪者的気質からますます抜け出せなくなります。

発達障害者にとっての大きな問題は実は障害自体ではなく、こうして親教師からピントの外れた叱責や暴力を受け続けることによってある意味で虐待を受けたのと同様、自己肯定感を持てなくなったり、人間不信になったり、うつなどの二次障害を発症してしまう事です。日本の場合、発達障害者の半数以上が該当するのではないでしょうか。

「社会が変われば障害ではなくなるような障害なら、最初から自ら障害と呼ぶ必要もないんじゃないか?」
「失った自尊心を自分たちで取り戻すような活動をするためには、発達障害に代わる、もっとポジティブな言葉に置き換えてみたら良いんじゃないか?」

そんなことをぼんやり考えていたある日、wolftone という音楽用語を知りました。

ウルフトーン

ヴォルフトーン(独: Wolfton )、またはウルフトーン(英: wolf tone )とは演奏音と楽器の胴体の共振周波数が一致した時に発生する、原音の周波数を増幅/拡大した、持続し共鳴する人工的な倍音である。周期的な唸りを伴う事が多く、それが動物の狼の吠え声に例えられた事からこう呼ばれる。 類似の名称を持つ現象としてwolf intervalがあるが、これは古典音律において、純正音程から大きく外れているために、同時に鳴らすと強いうなりを伴う音程の事を指す。
wikipedia

ウルフトーンは本来鳴らしたい音程から大きく外れるため、鳴らないように修正されます。
しかしこの倍音という成分を単体で見てみると、また違った一面が見えます。

倍音

古来合唱などで、本来聞こえるはずのない高い声がしばしば聞かれる現象が知られており、「天使の声」などと呼ばれて神秘的に語られていた。これらは倍音を聴取していたものだと現在では考えられている。
wikipedia

他の音に馴染まないので強制的に修正されるが、それ単体として見てみると素晴らしいものであるという点が、発達障害を表す別の言葉としてぴったりだと考え、僕はこの特性の良い部分に着目し生かしていく活動を自分の中で wolftonesプロジェクト と名付けました。

長くなりすぎたので一旦区切ります。
戌年~犬神(狼)の2018年~僕と発達障害とwolftones(2)へ続く。

年越し熊野旅(5)~玉石社と玉置の神~

冬、家で布団の中で寝ているときには外気温の変化を実感することはない。車中泊していると分単位で気温が下がっていく事が手に取るようにわかるから面白い。太陽が西の空に沈んでから再び東の空に顔を出すまで気温は下がり続ける。よく晴れて雲も無いから放射冷却現象で冷え込みがより厳しい。防寒対策はしっかりしてきたつもりだったけどそれでも寒かった。結局寒すぎてよく眠れず寝たり起きたりを繰り返していた。浅い眠りの中で、変わった夢を見た。僕が何かを盗んだ犯人(何を盗んだのかはわからない)になっているところからその夢ははじまる。目の前に厳しい顔をした人がいて「反省しなさい!」と大声で叱られた。しかし怖さはなくて、厳しいながらも暖かく諭してくれているという印象。そしてその人は筆で紙になにかを書きはじめた。多分字を書いているらしいのだが、何を書いているのかはわからない。

夢を見たのはその一回だけで、気が付いたらいつのまにか朝になっていた。

夕方仮眠をとっていたから睡眠不足ではないけど疲労感は取りきれなかった。窓だな。車の窓から外の冷気がダイレクトに伝わってくる。窓にも防寒処理を施せばもっとマシになるかもしれない。次に冬山で車中泊をする時は、ホームセンターで売っている「プチプチ」を買って窓の形に切り抜いて貼ってみよう。ただ人間として生まれたなら一度はこうして寒い思いをして自然の気温変化を肌で感じるという経験をしてみることもある意味では必要なことだと思う。-20度くらいの極寒の世界も一度体験してみたい(死なない程度に)。

元日の朝日の中、再び玉置の神域へ

昨晩は真っ暗で山の風景は何も見えなかった。改めて元日の朝日を浴びながら神社への道を進んでいく。杉の巨木が光を受けて幻想的だった。昨晩強風が吹いていたあたりは今朝は比較的穏やかな風に変わっていた。それでも“風の境界線”という気配は昨晩同様に感じられた。昨晩は地形がわからなかったが、見てみると切り込んだ谷がこちらにむかって狭くなっている。そこを通って加速した風が吹き上がってこのあたりだけに強い風が吹くみたいだ。

玉置神社

大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座し神武天皇御東征の途上として伝承されています。創立は紀元前三十七年第十代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散のため早玉神を奉祀したことに始まると伝えられています。古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現または熊野三山の奥院と称せられ霊場として栄えました。江戸時代には別当寺高牟婁院が置かれていました。その後、慶応四年の神仏分離により神仏混淆を廃し以後玉置三所大神、更に玉置神社となり現在に至っています。境内には樹齢三千年と云われる神代杉を始め天然記念物に指定されている杉の巨樹が叢生し、平成十六年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。
玉置神社公式サイト

玉置神社の本殿。国常立尊、イザナギ、イザナミの三神(三柱)が祀られ、明治6年に天照大御神と神武天皇が合祀された。ここは後で参ることにして、先に玉置山最高の神域である玉石社へと向かう。右手の道を進み、社務所の横を通って山頂に続く階段を上がっていく。

玉石社に近付くにつれ、明らかに山の雰囲気が変わってきた。15分ほど階段を登ると玉石社に着いた。

玉石社

古代、神武東征以前から熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた玉石は、玉置神社本殿と玉置山頂上中程に鎮座します。社殿がなくご神体の玉石に礼拝する古代の信仰様式を残しています。玉置神社の基となったのが、この玉石社と伝えられ、玉石に宝珠や神宝を鎮めて祈願したと伝わっています。大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝するのが習わしとなっています。

ここに祀られている神は大己貴尊(出雲大社の大国主命の別名)。三本の巨木の中心にご神体の玉石がある。地中に埋まっている部分は相当に大きいと言い伝えられているが実際にどれくらいあるのかはおそらく誰も知らない。花の窟神社では過去トップクラスの異世界感を感じたので、ここ玉石社はそれを上回るかと思っていた。ところが実際に玉石社の前に立ってみるととても静かでまるで神が寝静まっているかのような印象だった。それは玉置神社本殿でも同様。天河神社のような“不在”というような感じでもないのだが・・・。なにか奇妙な感じがした。それはそれとして、この“三本の巨木の中心に玉石”という自然が作り出したご神体の様式を見ながら僕はしばらくある考え事をしていた。その件はかなり長い話になるのでこの熊野の旅レポを書き終わったら書くことにしよう。玉石社の参拝を終えると、右手からさらに上に続く階段を上る。昨日からの疲れがだいぶ足に来ていた。ゆっくりと時間をかけて上り、ほどなく玉置山山頂に到着した。

白い霜が朝日を反射してキラキラと輝いていた。山頂付近には現代人の手が入っているせいだろうか。神聖な気配はなく再びどこにでもある山という印象を受ける。

「宝冠の森 50分」の立て札がある。ここまで来たらこの宝冠の森にも是非とも行ってみたかったのだが、家に帰る時間を考えると無理だった。また次の機会に行きたいと思う。宝冠の森へ続く道の左手にもう一本道があった。その道の先にあるものが気になり、少し歩いてみる事にした。そこにあったものは・・・。

電波塔。こんなものが建ったら当然神聖な気配など一瞬で吹き飛んでしまうよね。人口が増えれば土地や山林の開発も欠かせないという事は理解している。でもわざわざ歴史のある神の山のてっぺんに電波塔を建てる必要はあったのか?建設案が出たときに誰も反対しなかったのか?と非常に残念な気持ちになった。

産田神社で出会ったおじいさんの「昔は下から歩いて上るしかなかった」という言葉を思い出した。たしかに車道があれば誰でも簡単に玉置神社に来られる。しかしその開発によって、この聖山の精霊を追い払ってしまったのではないか。玉置神社から玉石社のところまで、杉の巨木とともに神域はたしかにいまも開発されずに残されている。けれどこれも考えてみれば傲慢な話だ。「ここからここは人間の領域。神様はこれだけあればいいよね。はいどうぞ」という考え方である。神の頭上に電波塔まで建ててしまうくらいである。自然や神を敬う気持ちがそこには微塵もない。

ろくな登山装備もないずっと昔は、玉置山参拝は文字通り命がけだったという。命をかけてでも絶対に行くんだと言う強い覚悟で望むべき神の山。「選ばれた人しかたどりつけない」という伝説はその頃に生まれたのだろう。いまはどうか?道ができて誰でも安全にレジャー感覚で簡単に来られるようになった。しかし玉置の神はそうして楽をして来た人には向き合ってくれない神なのかもしれない。僕が玉石社の大己貴尊も玉置神社の国常立尊も静かに寝静まっているのでは?という印象を受けたのも、そのためかもしれない。あの「反省しなさい」という夢はそのヒントなのだろうか。僕も道が出来る前の神秘の玉置山を一度この目で見て、そして自分の足で土を踏んで体感してみたかったけれど今と言う時代に生まれた以上はもうそれは叶わない。かつてはきっといたであろう山の精霊の気配はもうない。逆に今という時代に生まれた事に意味はあるのだろうか?

山頂から降りて社務所の付近まで来ると、初詣客が大勢いた。その人たちの横をすりぬけて玉置神社本殿で参拝をし、車に戻って時計を見ると10時を回っていた。日差しはポカポカと暖かく、夜の間に凍結した道もこの時間には解けていた。行きと同様なんの問題もなく山を降りることができた。2015年と2016年の年末年始はどちらも雪が降って玉置神社参拝客の事故が多発して大変だったらしい。
帰りに寄った道の駅でぜんざいが無料で頂けた。楽しかったと同時に玉置山で最後は気持ちが引き締まった、初めての熊野旅。

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