Posts Tagged: 熊野

年越し熊野旅(2)~上っては下る熊野の神社めぐり~

2016年大晦日。熊野旅2日目。

平日は4時半起きの生活をしているせいで、休みであっても超早起き体質になってしまっている僕。この日も4時過ぎに目が覚めた。泊まったホテルは防犯上の理由で6時まで入り口が施錠され、外出ができない。時間が余ったら読もうと思って持ってきていた本は車の中だ。二度寝しようとしたが、すっかり目が覚めてしまってそれもできなかった。しかたなく面白くもないテレビを見て過ごした笑

6時になり、入り口が開くと同時にホテルスタッフに挨拶して外出した。空気がキンと冷えている。海岸で日の出を見ながら写真をパチパチ。金属製ボディのカメラはすぐに氷のように冷たくなり、それを触る手の熱もカメラに奪われて手の感覚がなくなってくる。手袋をするとカメラの操作ができないので、手をポケットに入れて暖めてはまた写真を撮る。この寒い中、波打ち際に立って釣りをしている人が何人かいた。釣りには詳しくないけど、何を釣っているんだろう?

左手に獅子岩。こういった岩はたいてい「言われてみればそう見えるかな~」程度の造形だが、これはパッと見で獅子が伏せている姿に見えるからすごい。エジプトのスフィンクスさながらに太陽が昇る方角を見つめている。

獅子岩
世界遺産、そして天然記念物及び名勝「獅子岩」は、地盤の隆起と海蝕現象によってうまれた高さ約25m、周囲約210mの奇岩です。昔から南側に位置する神仙洞の吽(うん)の岩(雌岩)に対して阿(あ)の岩(雄岩)と呼ばれ、井戸川上流に位置する大馬神社の狛犬として敬愛されていました。このため、大馬神社には今も狛犬が設置されていません。毎年8月17日に開催される「熊野大花火大会」では、多くのカメラマンが集まる絶好の撮影スポットとなります。
熊野市観光公社 獅子岩《世界遺産》

恵那と熊野を繋ぐ糸。その先へと繋がっていく糸。

昨晩、花のいわや亭を出てホテルに帰る際、ほんの目と鼻の先にある「花の窟神社」の前を通った。そのときは真っ暗で見た目にはなにもわからなかったがなぜか非常に気になって、朝日が差して明るくなったら朝食を食べるよりも前にこの花の窟神社に来ようと思っていた。神社はどこでも例外なく一日のうちで朝がもっとも神聖な気配が色濃く感じられる。朝に来れば、とても気持ちが良さそうな気がしたからだ。ホテルをチェックアウト後、さっそく花の窟神社へ。

鳥居をくぐって参道を歩いている時からすでにここが素晴らしい神社だということがわかった。本殿はなく、ご神体とされる岩を直接拝する形になっている。ご神体の岩のある空間に入るとすぐに、包み込まれるようなとても心地の良い感覚。すぐ脇の熊野街道を通っているはずの車の音も僕の耳には入らなくなり、ここは外界と隔離された、別の時間が流れている異世界のようだと感じた。ボキャブラリーが貧困で異世界としか表現できないのがもどかしい。白山中居神社平泉寺白山神社にも比肩しそうな、僕の神社めぐりで過去トップクラスの神気漂う空間。ここに居ろと言われれば何時間でもずっと居られる。それぐらい居心地が良かった。それと、この異世界感の中にかすかな異国の気配を感じた。東南アジアとかオセアニアとかそういった南の国の気配っぽいのだが、どこの国とはっきり言い切ることもできない。異国のものが置いてあるわけでもない。ここにあるのは普通の日本の植物と岩と石組み、そして神道様式の拝所のみだ。でもどういうわけか異国の情緒が確かにここでは感じられる。この空間を一歩でも出るとそのような異国の気配は感じられなくなる。

花の窟神社
花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。
花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、全国から多くの参拝者がお越しになります。花の窟では年2回、例大祭を行います。神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれております約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたします。この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」されています。
世界遺産 花の窟

熊野市に来てからずっと感じていた居心地のよさの発信源はここだったんだとこの時確信した。そして恵那と熊野には一つの共通点があることに気が付いた。恵那という地名はイザナミが天照大神を生んだ時の胞衣(えな)に由来している。恵那神社の主祭神はイザナギ・イザナミの夫婦神。恵那と熊野にはイザナミという共通点があったのだ。どうも僕が心地良いとか異世界だと感じる神社にはイザナミがなにか関係しているらしい。

となると、白山中居神社と平泉寺白山神社の祭神は?
以前調べた気もするが忘れてしまっていた。さっそく改めて調べてみた。結果、もちろん平泉寺白山神社の祭神もイザナミ。白山中居神社の主祭神も、やはりイザナギ・イザナミの両神だった。ここまで一致すれば、偶然では片付けられない。

僕にとって恵那が心地よいのはただその土地が僕に合っているだけだと今までずっと思っていた。イザナミが関係しているとは今回熊野に来るまでまったく予想もしていなかったし、恵那には何度か行っているが恵那神社には一度も参拝したことがない。僕の神社めぐりのテーマを一言で表現するなら「縄文時代の人々の自然信仰(アニミズム)とその精神性を探求する旅」なのだが、イザナギ・イザナミもこれからここに絡んでくるのだろう。これからはイザナギ・イザナミを・・・特にイザナミの名を見たら積極的に追ってみようと思う。

次に向かったのは、花の窟神社から1kmほど離れたところにある、産田神社。花の窟神社はイザナミの墓所であり、産田神社はイザナミが軻遇突智尊を生んだ場所とされている。

杉の巨木があり長い歴史を感じさせる立派な神社ではあったが、花の窟神社のような特別な異世界感や神気はここでは特に感じられなかった。イザナミ繋がりであっても全ての神社が僕にとって居心地が良いわけではないということか。ちょっとだけがっかりしながら簡単に参拝を終えて帰ろうとした。その時、正月を迎えるため本殿の清掃をしていると思われる氏子らしきおじいさんが僕のほうを見たかと思うと、清掃の手を止めて手招きしてきた。何だ?本殿の前には白石が敷き詰められていて「ここから先は神域なので土足で白石を踏まないように」という旨の注意書きがあり、石を踏んで行って良いものかどうかと困惑していた。するとおじいさんはジェスチャーで「左のはじっこまで行ってぐるっと回ってこっちへこい」と示してきた。その指示に従って本殿の横まで行くと、おじいさんは地面にある石組みを指差し「これはひもろぎだよ」と言い、詳しく説明してくれた。

産田神社の神籬(ひもろぎ)
熊野市有田町産田神社の社殿の両側に直径一尺高さ五寸の丸石が並べられています。囲まれた中に五個が置かれ「ひもろぎ」跡と想像される場所があります。昔からここに落ちた枯葉など箒で掃くことなく手で取り去るようにきつく言い伝えられてきました。昭和三十五年の五月に考古学の権威の小野祖教(もとのり)国学院大学文学博士が熊野に来られ鑑定されました。その結果は約二千年前の祟神天皇「古事記や日本書記に記載」の時代の古代祭祀遺跡と判明しました。日本には東北地方に一ヶ所あるのみで、産田神社で二ヶ所目の発見であるとのことでした。この「ひもろぎ」は古代の社殿の無い時代に神をお迎えしてもてなす場所で神社の磐境(いわさかといい神の鎮座する区域)をしめすもので住民が永くたいせつに守ってきたのであろうとのことでした。

(産田神社由緒書きより)

ひもろぎをよく見るとうっすらとなにか文字のようなものが彫ってあるようにも見えるが風化しているらしく詳しいことはわからない。おじいさんが手招きしてこれを僕に見せてくれなければ僕は一生このひもろぎを目にすることも無ければ、心にとどめることさえ無かっただろう。たまたま大晦日に来て、おじいさんが正月前の清掃をしていたこと。その時、参拝客が僕一人だけだったこと。これらの条件が整わなければ見られなかったと思うと、縄文文化を追っている僕になにかの力が働いてこのひもろぎを見せてくれたのかな、などと思ったりする。もしもそうなら、僕のようなただの凡人にひもろぎを見せてどうしろというのだろう。日本に二ヶ所・・・もう一ヵ所である東北のひもろぎを探せば何かわかるのだろうか?僕の神社めぐりの旅ではいつも新しい土地へ行くたびに予想外の新しい発見があり、僕自身の意思を超えて次に訪れるべき場所がまるで自動的に示されるかのようであり、しかもその情報が次から次へと押し寄せるのでしっかりメモしていなければ忘れてしまいそうなほどだ。

「どこから来なさった?」
「愛知県からです」
「名古屋の人はここにもよく来るねぇ」
「そうなんですか。僕は神社を訪ね歩くのが好きで、今日はこれからいくつか神社をまわった後、玉置山で年越しする予定なんです」
「へぇ~そうなのかい。玉置山は昔は下から歩いて行くしかなかったが今は道も出来て上まで行けるようになったからね」

というような会話を軽く交わした後、おじいさんへお礼を言い、産田神社を後にした。ここからさらに山の奥の方に進んだところにある丹倉神社という、古代の磐座信仰の気配が感じられそうな神社にも行きたかったのだが、玉置山に行く時間がなくなるので、丹倉神社はまた次回熊野に来た時の楽しみとしておく。

熊野速玉大社

熊野市から速玉大社のある新宮市へは20kmの距離があり車で30分ほどかかる。海沿いを走るが、道と海の間に樹木があるので残念ながらオーシャンビュードライブとはならない。それと、これは多少気のせいもあるかもしれないが、熊野市から離れれば離れるほどなんだかあの居心地の良い空気感も薄れていくように思えた。おなかが減ってきたので店を探すが、直感が働かず「ここにしよう」と思える店がなかなか見つからなかった。道中にあった道の駅に寄ったがレストランは営業していなかった。速玉大社は大きな神社だからおかげ横丁的な何かもあるだろうと考え、とりあえずそのまま速玉大社まで行ってみる事にした。着いてみると、やはり熊野市とは違ってどこか冷めたような町の気配。正直、居心地は良くない。新宮市住民の方ごめんなさい。でもそう感じるのだから仕方がない。

速玉大社の駐車場に車を停め、近くの料理店に決めてそこに向かうと、ここも営業していなかった。段々どうでもよくなってきて、その店のはす向かいにあった喫茶店で朝食と昼食を兼ねてコーヒーとサンドイッチを注文した。僕以外に誰ひとり客は入ってこなかった。大晦日はこんなものなのだろうか。サンドイッチはおいしかった。

熊野速玉大社
熊野川の河口に位置する新宮の速玉大社。熊野三山(本宮・新宮・那智)の社務を統括する熊野別当の本拠が、この新宮の地におかれたこともあって新宮の速玉大社は特別の地位を占めるようになった。熊野別当は荒海をものともしない熊野水軍の統率者でもあり、平治の乱(1159)には平家方に、屋島・壇ノ浦の源平の決戦には源氏方につくなど、ときの権力を左右する力をもっていた。熊野川の流れを背にした千穂ケ峰の山すそ。鮮やかな朱塗りの大鳥居をくぐると、心が静まる空間がひろがっている。かつては「日本第一大霊験所、根本熊野権現」として紀州半島南部に広大な宗教王国を築いていた熊野権現速玉大社だ。熊野速玉大神を主神に、家津御子大神、夫須美大神の三神をまつる。社伝によると、以前は神倉山にまつられていた神々を景行天皇(71~130年)の時代にいまの場所にうつし、それが「新宮」の名のおこりになったという。「速玉」の社名の由来は、伊弉諾の唾の力を災いやけがれを払うまじないとしてあがめ、速玉男之神として神格化したという説、船の舳先で黒潮の怒濤を切り裂く水しぶきを聖なる飛沫として「速玉」と呼んだという説などさまざまだ。
新宮市観光協会

ここ速玉大社でも特にこれといって何か感ずるものはなかった。僕の神社めぐりとは無縁そうだったので、来た記念に写真だけ撮ってそそくさと退散することにした。速玉大社では、速玉大神は伊邪那岐神(イザナギ)と同一神だということになっているらしい。そうかなぁ。僕がこれまでに行ったイザナギをまつる神社と全然気配が違うんだけどなぁ、となにか釈然としない。どちらかと言うと仏教色を強く感じる。縄文人の信仰から弥生人の信仰、さらに仏教との融合という歴史の改変の中で、祭神がおかしな事になってきているだけだと勝手に予想してみる。
別に速玉大社を悪く言うつもりはないよ。祭神がどうであれ、観光名所として楽しければそれで良いといえば良い。ただ僕の神社めぐりとは直接は縁の無い社だなという気はした。車で次に向かう場所のナビの設定をしていると、後部の窓を誰かがコツンと叩いた気がした。ん?と思って振り向いても見ても誰もいない。しかしよく見ると、窓に何か白いものがついている。鳥のフン爆撃だった。
大人しく退散しようとしているのに、嫌な思い出まで残そうというのか速玉さんよ(#゚Д゚)プンスコと一瞬むっとしそうになったが、2017年は酉年である。トリのウンをもらったんだきっと。酉年は良いことがありそうだ。本当かよ。

このエントリのタイトル「上っては下る」の部分のさわりすらまだ書けていないが、長くなってきたので一旦ここで区切ることにしよう。

前:年越し熊野旅(1)~鬼ケ城と熊野灘~
次:年越し熊野旅(3)~続・上っては下る熊野の神社めぐり~

年越し熊野旅(1)~鬼ケ城と熊野灘~

明けましておめでとうございます。2017年最初のエントリは、12月30日から元旦まで熊野方面に行ってきたのでその旅の記録を書いて行こうと思う。本格的な神社めぐりはずいぶん久しぶりになる。いつものように直感だけで熊野に行くと決め、具体的に熊野のどこに寄るかは旅の直前になって少し調べただけの行き当たりばったり旅。しかし予想以上に収穫の多い旅となった。書きたいことがとても多いので、記憶が薄れないうちに一気に書いてしまおう。

30日、朝9:15に家を出発。三重県の多度大社の横を通過していなべ市へ。多度大社と言えば、母方の実家が多度にあり、僕も幼い頃何度か連れられて来たことがある馴染み深い神社である。僕の探求に絡む“神社めぐり”と直接関係してくることは今のところ無さそうだが、車で30分の距離なので、普通の神社紹介日記としてそのうち一度は取り上げるかもね。
この日は時間もたっぷり余裕があり、竜ヶ岳や御在所岳を眺めながらのんびりと車を走らせた。雪山登山にもチャレンジしてみたいんだよね。最初に登るとしたらまずはアイゼンの装着に慣れる為にこの標高が低くて登りやすい竜ヶ岳あたりかな?

いざ熊野へ

熊野は隣県とは言っても距離にして200km近くあり、高速道路を使わないとかなりしんどい。四日市から亀山ICまでは帰省ラッシュで大渋滞していたので、亀山ICの次の芸濃ICまで一般道の306号線を使うことにした。この日の306号はガラッガラで、信号も少ないので50~60km/h巡航。渋滞している高速道路よりもかなり速いのは間違いない。

いなべ市から菰野町へと進む。その菰野町でも小休止を挟みながら、ある考え事をしていた。あれは水と六の旅の帰り道だった。菰野町を通過しているとき、ある場所でふいに懐かしいような神気漂うなような表現しがたい感覚を覚えた。僕は慣れない土地をドライブしているとたまにこういう事がある。その付近になにかあるのかと後で調べてみたが、神社やいわゆるパワースポット的なものがあるというような情報は特に見つからなかった。

それ以来、菰野町を通るたびにあの感覚をまた感じられはしないかと少し期待するのだが、感じられたのはその最初の一度きりだった。そして今回も同じく、なにも感じられなかった。このことについて考えていて、ふいに気付いた。もしかしたらこういう感覚は「感じたい」と頭で意識していると、逆に感じ取れなくなるものなのかもしれない、と。
“水と六の旅”の時は菰野町になんの思いも事前知識もなく、旅の疲れもあって心が完全に無防備でフラットだった。だからこそあのときは感じ取れたのかもしれない。菰野町でのあの感覚について調べる手掛かりが今のところなにもないが、これについてもいつか何かわかる日が来るだろうか?そんなことを思いながら菰野町を後にした。

芸濃ICから東名阪自動車道へ。朝から良く晴れていた。晴れの予報さえ曇りにしてしまう曇り男の僕にしては珍しいなー。などと思っていたら、案の定ここらへんでどんよりと黒い雲が空を覆い、小雨も降ってきた。ですよねー。特に気にせず車を走らせていると、雲は去り、再び晴れてくれて、それ以降雨雲を見ることはなかった。幸先良い。1時間半ほど走ったところで紀北パーキングエリア(始神テラス)という綺麗なPAを見つけた。ここで遅めの昼休みをとることにした。

こんな杖が置いてある。

この始神テラスから直接、熊野古道「始神峠」に入ることができるらしい。今回の旅では熊野古道を歩く予定はないが、緑の香る季節に熊野古道も歩いてみたいと思っていたので、これは良い情報をゲットした。PAから直接入れるなら便利だね。でも便利を求めすぎて、完全に観光地化してしまって雰囲気を台無しにしまうことだけは絶対に避けてほしい。登山をしているとあちらこちらでそんな惨状になってしまった山を見る。それだったら不便なままなほうがはるかにいいよ。予算を握っている人々にはそこらへんのさじ加減をぜひ慎重にやってもらいたいと心から願う。

露店で売っていたたこ焼き(しょうゆ味)が昼食。たこ焼き大好きな僕は目にするとつい買ってしまうのだった。味は…60点!まあ普通のたこ焼きだね。

紀北パーキングエリアからさらに高速道路の無料区間を40分も走ると熊野市に入る。世界遺産・鬼ヶ城沿いの暗いトンネルを抜けた時、日が傾きかけた空とその日の光を反射する海が視界いっぱいに広がった。その光景にちょっと感動し、それまでの運転疲れさえ心地よく感じた。予約してあったホテルにチェックインして海を見ながらゆっくり休憩したあと、再び車に乗って、来た道を5分ほど戻り鬼ヶ城を散策することにした。

鬼ヶ城(おにがじょう)

2004年7月7日「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産に登録された鬼ヶ城は、伊勢志摩から始まるリアス式海岸の南端に位置し熊野灘の荒波に削られた大小の海蝕洞が約1.2km続く凝灰岩の大岸壁です。
高さ2~4mの崖は階段上になっており、数回にわたる急激な地盤の隆起のあとが見られます。
波蝕洞の入口はどれも鷹のクチバシように先端が尖り、天井部分には蜂の巣状の風蝕跡が見られ床面は板のように平らかな棚となっています。中でも東口にある千畳敷は上下2段の大きな岩窟で鬼ヶ城のいちばんの見所です。

古くは「鬼岩屋(おにのいわや)」と呼ばれていましたが、有馬氏が山頂に城を築いたのちに現在の名称である「鬼ヶ城」と親しまれています。鬼ヶ城センターより、海岸線の遊歩道を歩いて鬼ヶ城西口までの道のりは片道約40分。熊野の自然が造り上げた彫刻美をぜひご覧ください。
http://onigajyo.mie.jp/onigajyo.html

時間が遅めだったからか他の観光客はあまりおらず、ゆっくりと散策。波音もとても気持ちよくて眠気を誘う。

途中から通行禁止になっていた。復旧予定時期も未定とのこと。残念だけど千畳敷が見られただけで良しとした。次の日は嫌というほど歩くことになるし、むしろ体力温存になって良かったかもしれない。

ホテルに戻ってまた少し休んでいると、あっという間に暗くなった。ホテルは素泊まりプランだったので、夕食を食べにまた外へ。どこで食べるかまったく考えていなかった。あえて予定は考えず運まかせで店を決めて当たりかハズレかのスリルを味わうのも僕のひそかな旅の楽しみ方の一つだ。スマホで付近を検索して勘で選んだ「花のいわや亭」という店に決めた。

当たりだった。店の雰囲気がとても良く、一人でも半個室の落ち着ける席に案内されてとてもゆっくりできた。注文したのは「中トロ入り本マグロ丼セット」。うまい!僕は普段、刺身はどちらかというと苦手な方で、自分から好んで食べることはまずない。でも海沿いでは話は別だ。同じ魚とは思えないくらい全然味が違うんだ。まったくくさみがなくて、油もしつこくなく、甘みがあってとにかくうまい。マグロ丼の他に、てんぷら盛り合わせとネギトロ、汁物、とろろ汁、茶碗蒸し、甘味がつく。マグロを半分食べたところでとろろ汁をかけて山かけマグロ丼にして食べる、ひつまぶし的な贅沢感。これで値段は税抜き1600円。やっぱり海の町に来たら海鮮だね。

京都や奈良や東京など他所の土地に行くと、たいていの場合、街中か自然の中かに関わらず変に緊張してすぐ疲れてしまうのだが、熊野市にいるあいだはそういうこともなく終止リラックスできた。「熊野の海や町並みの空気感が自分に合っているんだな」と、とても気に入った。以前、巨石探訪 ~ 恵那・笠置山の“ピラミッド” (1)で「恵那という土地は以前から好きで、行くとなぜだかとても心が安らぐ。もし春の穏やかな日にでも恵那に行けば、きっと心地よくていつまでも居眠りしていそうな気がする。」と書いた。そう、熊野の安心感というか居心地の良さは、恵那の空気感にとても似ていたのだ。恵那は山で、熊野は海。でも僕にはとても似ていると感じられた。この翌日、恵那と熊野の空気感に関してまったく予想もしていなかった発見をすることになる。

ホテルに帰り、風呂で温まって布団にもぐりこむとすぐに眠りに落ちた。明日はこの旅の本番、神社めぐりだ。

次:「年越し熊野旅(2)~上っては下る熊野の神社めぐり~