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大和三柱鳥居を見てきた(2)

東海地方ローカルテレビ局であるCBCの報道番組「イッポウ」に、東海地方の噂を紹介する10分ほどの小さなコーナーがある。僕は普段この番組はもちろんTV自体ほとんど見ないが、4月21日の放送回の時はたまたまテレビ欄を見ていて「山頂に謎の三本の柱」の文字を見つけ、これはもしやと思い録画して見たらやはり大和三柱鳥居を取り上げていた。

郡上市役所への取材からはじまり、その話の中に貴重な情報があった。
大和三柱鳥居のある山は、以前は民間人が所有していたが、平成16年(今から13年前)に郡上市に寄付されたという。鳥居はそのときにはすでに建っていた。寄付の際、鳥居の写真と共に一枚のメモ書きも市に寄贈され、それは今も郡上市の市庁舎にあるそうだ。贈り主の情報は市に残っていないらしく、誰がメモを書いたのか、そして三柱鳥居を誰がなぜ建てたのかは市も把握していない。

そのメモの内容は次のとおり。

大和三柱鳥居
建立日平成6年8月1日

天と地がはじめて拓かれた時、既に、そこには三柱の神が成っておられたと神典は伝えております。その名は

天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
高御産巣日神(タカミムスビノカミ)
神皇産霊神(カンミムスビノカミ)
と称されます。

この三神が万物を創造され、以来無限のエネルギーを与えられ続けているのであります。三柱の姿・形を大宇宙に見るならばそれは「太陽」と「月」と「地球」であり、地球にあっては「水」と「光」と「空気」であります。そして人間社会にあっては「愛」と「理解」と「尊敬」と言えます。
三者それぞれ、独自のエネルギーが完全にバランスを保つよう一つに纏まることが大切であります。古来我が国では、最も安定した力を三本柱と称してきました。また日本民族の発祥以来皇統に伝わる三種の神器もこの事と無縁ではないと思います。
この三神、三体の偉大なる力とその働きを確信し、生き通すならばこの宇宙にはさらなる調和と繁栄がもたらされるでしょう。
写真は、日本列島の中央に位置する岐阜県美濃の国、郡上市大和町の静寂の地に建立された三神を象徴する三柱鳥居であります。
希望に満ちた太陽の光と糧を育む力強い大地、そしてそれを優しく見つめる赤い玉の影がご覧になれるでしょうか。

「イッポウ登山部」がGW明けに登山して大和三柱鳥居の実物を調査して続報すると言ってそのコーナーは終わった。
TVに先を越されるとなんだか負けた気がするので今回到達することが出来て良かった笑
イッポウ登山部はどんなルートで登るのか興味がある。

テレビ画面をスマホで撮ったものだが、これはその郡上市市庁舎にある、平成6年に鳥居が建てられた直後に撮られたと思われる写真。鳥居中心部の地面に注目して欲しい。黒い塊が写っているのがわかる。写真からは詳細はわからないが、これはおそらく神座(かみくら)だろう。神座とは、三柱鳥居の中心に積む石組みのことで、宇宙の中心をあらわすとされる。京都の木嶋神社のものをはじめ、全国7つの三柱鳥居の多くには神座が存在する。

しかし現在の大和三柱鳥居はこの神座が無くなっていて、小石一個すら見つからなかった。台風などで神座だけが吹き飛ばされたのかもしれないが、いくら台風でも石組みが全て跡形も無く吹き飛ぶとは考えにくい。人為的に神座だけが撤去された可能性の方が高いように思える。


鳥居そのものもよく観察してみた。文字の類は一切見つからなかった。ここ数年で人が祀ったような痕跡もないし、神聖な雰囲気は感じられない。
とはいえ鳥居には違いないので、柱に囲まれた中を踏まないように注意しながら、中からなんとなく空を見上げてみた。

このとき上空は一面の曇り空だったが、鳥居の真上だけぽっかりと雲に三角形の穴があき、そこから青い空が見えた。単なる偶然か、それとも…?


鳥居の隣には20m四方くらいのスペースがある。これはヘリ着陸用の場所だとも言われている。平成6年からまったく手入れされていないにしては、ここだけ草木一本生えていないのは変だ。すると今もヘリでここに着陸して手入れしている人がいるという事だろうか。だとしたら、なぜ三柱鳥居そのものは手入れせずに、かつて神座があった地面に草が生えたままになっているのだろうか。ますます謎が深まる。

天御中主神と国之常立神。両神は天と地とで対を成す神。古事記では、天御中主神をはじめとする三神は「造化三神」と言い、最初にこの世に登場する神とし、国之常立神はその次に登場するとされる。日本書紀では国之常立神が最初となっている。ちなみに、関連があるかどうかわからないが、この大和三柱鳥居から少し東に行くと、国之常立神を祭神とする御嶽山が鎮座している。2014年9月27日に噴火して51人が犠牲となったあの御嶽山だ。

もっとこの場に留まっていたかったが、時間はすでに3時半を回っていた。念のためヘッドランプも持ってきているとはいえ、この山を暗い中歩くことはとても危険に思えた。行きに4時間かかっていることを考えると長居してもいられなかったので、後ろ髪を引かれる思いで帰ることにした。

下山中、崩落した斜面で昼寝中のカモシカに遭遇した。こちらに気付くとものすごいスピードで駆け下りて逃げていった。僕もあの脚力がほしい。行きでルートを確保できたので、帰りはルート決めや足の運び方を考える必要があまりなくサクサク進んだ。しかし体力的にはほぼ限界だったので結局帰りでも2時間半かかり、車にたどり着いたのは日が沈む直前の6時過ぎだった。

行き帰りで計7時間。歩行距離は行きでルート探索のためうろちょろした距離を含めて計16kmにもなった。体力的には前回の尾根伝いルートのほうが距離が短くてずっと楽かもしれない(あのルートで雪解け後に鳥居まで到達できるかどうかは不明だが)。ともあれ、日本の神道由来の建造物のなかでもっとも到達困難なものの一つである大和三柱鳥居の実物を自分の目で見ることが出来て満足した。

熊野旅後記(2)~美濃の怪物伝説と艮の金神:玉置山の玉石社は全国に点在する三柱鳥居の原型か

前回記事「熊野旅後記(1)~玉置神社の“悪魔祓い”の謎」の中で僕は、玉置神社の悪魔祓いは崇神天皇によって仕組まれた呪詛であり、その目的は主祭神に据えられた国之常立神(艮の金神)を、玉置神社に参拝に来る日本人自身の手によって封印させることと推測したが、その結論に到る前提要素として、出口なおのお筆先(大本神諭)と、岡本天明の日月神示を取り上げた。
もちろんこの逆のパターンも可能性としては考えられる。つまり、出口なおと岡本天明にかかった神は国之常立神ではなく“ただの悪霊”だった、という可能性だ。が、僕はそうではないと考えている。その根拠は、僕の直観。日月神示と大本神諭に書かれている内容…というよりその行間からにじみ出るなんとも説明しがたい気配から、信じるに値すると感じる。

「直観がどうして当てになるのか。そんなものはぜんぜん論理的ではない」と言われたら、人の直観より勝る根拠はこの世に存在しないと僕は答える。“勘”ではなく“直観”。勘とは主に経験に基づいた無意識的なニューロンの結びつきによる推測のことを指すが、直観とはそれよりもっと根源的な部分での「心で観える、感じる」という感覚のことである。この二つは似ているようでまったく違う。このあたりの話は、わかる人には全く難しくない話だし、逆にわからない人にはおそらくどれだけ説明してもわかってもらえないような気はする。

今の世は憎しみの連鎖が二千年間も続いている。憎む相手を悪だと互いに見ているからいつまでも人間同士の争いと苦しみが終わらない。その真理を悪を悪と見るその心が悪であると見事に説く艮の金神がもし悪神であるなら、正神はいったいなんと説くと言うのだろう?
だがこれはまだわかりやすい例だ。わかりにくいのは、天災や病による苦しみといった、人間にとって表面的には良くないものに思えるあらゆる災難。これも悪いものと見てはだめだと国之常立神は説いている、と僕は解釈している。これらの凶事も人間の身魂磨きに必要な神の恩恵だとする国之常立神は、その厳しさゆえに八百万の神々によって悪神とされ、封印された。この神の世界の出来事が地上界に具現化したのが「崇神天皇による艮の金神の封印」であり、あるいはキリスト教におけるルシファーの存在だ。
ルシファーは天界の天使長だったが、神と対立したことで天を追放され、地の底の魔王サタンとなったとされる。ここに国之常立神との類似性が見てとれる。国之常立神の名を言霊として解釈すれば「常」は「床(とこ=地の底)」でもあり「地の底に立つ神」を意味するともとれる。現に別名として国底立尊(くにのそこたちのみこと)とする場合もある。

悪を悪と見るその心が悪。人間の多くがこのことに気付いたときに、国之常立神の封印は解けるのかもしれない。逆に言えば、善悪というものの存在を肯定するがゆえに悪を封じようとする“玉置神社の悪魔祓い”をありがたがる人間が多いうちは、国之常立神の封印は解けない、という事だ。であれば、崇神天皇の事を「国之常立神を呪詛によって封じた悪人」と見ることもまた同じく魔への道ということになる。ある意味、再帰的構造になっていて、矛盾を含みながらも同時に神の完全性を持っているとも言える。考えれば考えるほど不思議な気持ちになるが、玉置神社参拝に求められる心構えとはおそらくはそのようなものではないだろうか。

ではここから本題にはいる。

高賀山の怪物伝説

話は今回の熊野旅の三ヶ月前に遡る。昨年の10月、美濃(岐阜県南部)の高賀山付近にある巨大杉株の森に行った。僕はその時、さらにその奥の山域に行ってみたいという衝動にかられた。美濃の山奥にはなにかあると感じたからだ。その日の帰宅後、高賀山付近の山域にまつわる歴史について少し調べてみた。高賀山や瓢ケ岳といったここらの山々は、日本国誕生以前からの山岳信仰の聖域だったようだ。

高賀山に、高賀神社という古い社がある。ここに面白い歴史があった。

高賀神社の始まり(高賀宮記録より)

当宮の始めは、霊亀年中(710年代)何処ともなく夜な夜な怪しい光が空を走り丑寅(うしとら)の方角へ飛んで行くのを都の人たちが見て驚いた。都から見て東北の山々、すなわち高賀山を探したが、見つけることはできなかった。そこで、高賀山麓に神壇を祀ったところ、光が現れなくなったという。これが高賀山本神宮の始まりだといわれています。
その後、高賀山一帯に、牛に似た妖怪が住み付き、村人に危害を加えたので、平承3年(933)、藤原高光が御門の勅命によりこれを退治した。このとき再び妖怪が住みつかないように高賀山の麓に神々を祀った。
高賀癒しの郷 知の癒し

その牛に似た妖怪の名を美濃タウロスといったそうな(嘘)

余談だが、高賀神社付近の民間伝承では、牛に似た妖怪ではなく「さるとらへび」というものに代わっている。これは識字率が低かった当時、高賀宮記録を読める者は少なくて主に口伝で伝えられたので、時の経過と共に京都の妖怪「鵺」の伝説と混同されて「さるとらへび」となった可能性が高い。

三柱鳥居

さらに美濃の山について調べていると、高賀神社の怪物伝説よりもさらに興味深い「大和三柱鳥居」の存在を知った。三柱鳥居とは鳥居を真上から見て三角形になるような形で三基組み合わせた極めて珍しい鳥居で、現在全国に少なくとも7つあることが確認されている。

その7つのうちのひとつである大和三柱鳥居は高賀山から北に10kmほど行った山中にあるもので、周辺には神社はおろか人工物が何一つない完全な山中に三柱鳥居だけがひっそりと立っているらしい。地元の人でもこれを知る人はごくわずかだろう。興味を持った僕は11月6日に現地に行ってみた。大和三柱鳥居のある場所は特定できているのだが、そこに到るルートを見つけることが出来ず、その日は諦めて帰った。また今年中に行って自分の目で見てきたいと思う。本当に道さえない山奥で、それなりに登山の知識と装備を持っていないと遭難事故になる危険性が高いので、おすすめはできない。大和三柱鳥居はかなり近年になって建てられたという事だが、誰がどういう理由で建てたのかは不明。

結果としてその日の探索では特に成果が得られなかったので、SNSで軽く日記を書いただけでこのブログには書いていなかった。それがこうして熊野旅後記として三柱鳥居に言及することになるとは僕自身想像もしていなかった。

7つの三柱鳥居のうちでもっとも歴史の古いものは、京都・太秦の木嶋神社のものとされている。これも起源については謎が多く、諸説あるが詳しい事はなにもわかっていない。木嶋神社にもまだ行ったことがなくて自分で撮った写真を持っていないので、Youtubeにアップされていた動画を貼っておく。

ここで、玉置山の聖域である玉石社の写真と上の三柱鳥居とを見比べてみてほしい。

玉石社は三本の杉の巨木の中心にご神体の玉石。三柱鳥居も三本の柱(鳥居)の中心に石が積まれた神座(かみくら)がある。祭祀形態として完全に一致している。僕の勝手な想像だが、この玉石社が縄文人の自然信仰の原点であり、それがシンボライズされ各地に信仰の対象として作られたものが三柱鳥居なのではないかと思うのだがどうだろうか。

縄文時代には日本中に三柱鳥居(の原型)があったが、大陸から渡ってきた崇神天皇によって主に近畿地方を中心として各地の豪族は滅ぼされ、ヤマト王権が樹立。やがて王権の支配が日本全土に及ぶにつれて三柱鳥居もその実物のほとんどが失われ、信仰文化としても事実上消滅した。国之常立神をはじめとする縄文系の神々は悪神として封印されたり、“大国主の国譲り”のように政権側にとって都合が良い形で日本神話の中に組み込まれたり、あるいは天照大御神のように天皇家の祖神として“再利用”された。
それから千数百年後の現在、大本神諭で「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ」と語られるように、かつての縄文の精神性とその神々の復活を願う人々が日本各地に産声を上げつつある。
…というような物語を想像してみた。

高賀宮記録の「丑寅(うしとら)の方角と都を行き来する光」は「艮(うしとら)の金神」となんらかの関連性があると見て間違いない。