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年越し熊野旅(4)~玉置山の星空~

この旅一番の目的地、玉置神社のある玉置山に向かって熊野本宮大社から168号を北上していく。このあたりから少し孤独感を感じはじめたのは日が暮れだしたせいか、それとも熊野市や新宮市などの大きな町から遠ざかって人里はなれた山間に来ているせいだろうか。好きな音楽をかけて気分を保ちながら、十津川温泉を経由してさらに進む。道中で猿の群れなどに遭遇した。

運転しながら一抹の不安がぬぐえずにいた。2016年の3月に奈良の天河大弁財天社(天河神社)に行ったことがある。天河神社は、ネットで検索すると色々とすごそうな話ばかり見つかる。「縁がなければたどり着けない場所」だとか「国内有数のパワースポット」だとか。それでかなり期待しながら実際に行ってみた。見た目には社殿もすごく立派で参道や境内の隅々まで美しく、確かに国内有数の見事な神社ではあった。しかし心の目で見える気配は、見た目とは反対にひどく矮小な神社という印象を受けた。神性をほぼ感じなかった。期待が大きかった分とてもがっかりしたので、このブログにもその時の旅レポは書いていない。ただその神社のある天川村はとても良いところだった。泊まった宿の料理はすごくおいしくて、そこの自家製梅酒に影響されて僕も自分で梅酒を作った。温泉があり、温泉街の雰囲気は最高。自然も豊かで観光地として行くなら天川村は十分おすすめできる場所だった。ただし天河神社はがっかりだった。かつては本当にすごい神社だったのかもしれない。でも今は天河の神は不在であると僕には感じられた。

そして玉置神社もまた天河神社と同じようにネットで「縁がなければたどり着けない場所」「最強のパワースポット」と囁かれているのだった。だからと言って一度も来ないまま天河神社と同じだと決め付けることもできない。ここも実際に来てみて自分の五感と心で確認してみたかったというわけ。

猿飼橋を渡って川を越えると玉置山に入り、標高を上げていく。一見するとどこにでもありそうな山だ。木も他の山々と同様、人の手が加わった杉で、神聖な雰囲気はまったく感じられない。降雪もなく念のために持ってきていたタイヤチェーンを使うことなくノートラブルであっさり17時少し前に玉置神社の駐車場に到着した。駐車場でもやはり特別な感じはしない。しかし結論を出すのはまだ早い。ここから神社へはさらに15分以上歩く。そこから先が神域なのだ。

レスキューフーズに救われる

太陽はもう今にも山の向こうに沈もうとしている。ここで、夕食をまだ食べていなかったことに気が付いた。先を急ぐあまり食事の事をすっかり忘れていた。ここ玉置神社の駐車場にも一応売店はあるのだが、当然のように営業していなかった。こういう時のために車には常に非常食を常備するようにしている。今回はそれを食べることにした。

レスキューフーズ 一食ボックス。この牛丼の他にカレーとビーフシチューも持っていた。今回は一番においが車内にこもらなさそうな牛丼を選んだ。このレスキューフーズシリーズはとてもおすすめできる。作るのに水も火も用意する必要がなく、スプーンも付いているのでこの一箱さえ持っていればどこでも簡単に暖かい食事が食べられる。味も非常食と聞いてイメージするレベルをはるかに超えるおいしさだ。牛丼は今回はじめて食べたがやっぱりおいしい。量は少し物足りないけど贅沢は言わないでおこう。今日ほどこれを持っていて良かった!と思った日はない。南海トラフ地震も近いうちに必ず起きると言われているから、そのための備蓄食としてもコツコツ買いだめしておくと良いと思う。事が起きてからではもう欲しいと思っても注文殺到でまず買えないからね。

僕の他にも車は何台か停まっていた。みんな玉置神社での年越しをしにきている人たちなのだろう。食事を終えると空はもうすっかり暗くなっていた。もう少し早く到着していたら神社の方まで歩いて下見にいくつもりだったが、今行っても真っ暗で下見にならなさそうだったので、そのまま駐車場に留まって夜まで仮眠をとることにした。この玉置山は標高1,000mを超え、平地より気温が5℃ほど低い。平地で0℃であれば、ここでは-5℃になる。この日のために新たに買った寝袋にもぐりこむとすぐ眠りに落ちた。

無数の星々

夜11時にアラームで目が覚めた。外に出てみると、星が空いっぱいに無数に輝いていた。愛知で見る星空とはまったく比較にならない。星ってこんなにも多かったのか・・・。すっかり感動してしまった。もしも玉置神社ががっかり神社であったとしても、この星空を見られただけで十分すぎるほど満足だ。

うっすらとだが、天の川も見える。シリウスがこの夜は一段と明るく輝いて見えた。南方熊楠は玉置山の神は狼を使役とすると随筆に書いた。シリウスの別名は天狼星。とすればシリウスがここ玉置山でひときわ輝くのも道理かもしれない。この時間に駐車場にやってくる車も何台かいた。人が降りてくると、最初に口にする言葉はみんな共通して「さむい!」と「星やばい!」だった。僕はけっこうな時間、星を眺めたり写真を撮ることに事に熱中して、気が付いたら駐車場にいた人はもうほとんど神社の方に行ってしまったらしい。僕も準備をして鳥居をくぐり、神社に向かう事にした。

玉置の神域と風の境界

ところで、なぜ僕が初詣(正月)ではなく年の暮れに熊野詣でに来ようと思ったのかと疑問に思った人は鋭い。多くの場所を回りたかったからというのもあるが、あえて正月ではなく年末に来るべき理由があるのだ。人間都合の時間軸ではなく、自然界の時間軸で考えてみるとよくわかる。一年を24に分けた二十四節気。その22番目、冬至(12月22日頃)が一年のうちでもっとも日の出から日没までの時間が短い。冬至を境にして太陽が出ている時間がまた長くなっていく。これは(北半球の)陰から陽への転換点が冬至であることを意味する。自然界の時間軸においては冬至からあらたな一年が始まると考えた方が理にかなっている。従って自然信仰を追う者としては冬至が終わり師走の忙しさからも一息つける連休、つまり年末に来るのが“初詣”としてベストだと考えられるのだ。それになんと言っても年末は神社もすいていて、ゆっくり気の済むまで神社と向き合える。人でごった返している神社にきて乱暴に賽銭を放り投げ、お礼もそこそこにあわただしく自分の願いだけ伝えて帰っていく人の話を神は聞いてくれるだろうか?正月は神も奥で寝静まっているか、もっと酷ければ人間の傲慢ぶりに呆れて神社から永久に去ってしまって神不在となり果てる気がする。天河大弁財天社もおそらくそのパターンなのではないかという気もする。ここ玉置神社ではどうか?

駐車場から先に明かりはまったくない。ほぼ新月で、月明かりもない。ヘッドライトをつけて神社の方向へと進んでいく。途中からは下りの階段になっていて、しばらく降りていった。それまでほとんど無風だったのが、ある場所から急に嵐のような強風が吹き始めた。右手は深い崖でライトで照らしても下は見えない。神社の方には人がいるはずだが、まったくその気配もしない。真っ暗闇に一人きりで強風の寒さに耐え、少し恐怖を感じながら先へと進んだ。やがて風はまたピタリと止み、前方にあかりが見えてきた。太鼓の音もする。玉置神社だ。

玉置神社では除夜の鐘ではなく“除夜太鼓”を108回叩く。108人の参加者には絵馬と太鼓を打ったバチが授与される。一般参加者は見た感じ30人にも満たない。足りない分は白装束を着た人が叩いていた。彼らはおそらく神子(みこ)と呼ばれる、玉置神社で神に仕える男性。神子も普段は別の仕事をしているごく普通の一般人らしい。僕は除夜太鼓には特に関心がなかったので叩いていない。時間はすでに0時を大きく回っていた。除夜太鼓の終わりは玉置神社の大晦日のすべての祭事の終りでもあり、そのまま朝を迎えることになる。僕は当初の予定ではそのままひとりで山頂に行って朝を待ち、ご来光を見るつもりだった。しかし気が変わって再び車に戻って寝ることにした。一日歩き回って疲れていたせいもあるが、あの強風に吹かれてからなんとなく畏怖の念を覚え、闇夜に山頂に行くのは控えた方が良い気がした。一言で言えば怖かったからだ。

また一人で来た道を引き返した。来たときと同じくある場所から強風が吹き荒れ、ある場所まで来るとぴたりと止む。神社では川が人間の領域と神域を隔てる境界線となっていることがよくある。ここ玉置神社では風がその境界線らしい。この時、玉置山には今も神がいると悟った。

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年越し熊野旅(3)~続・上っては下る熊野の神社めぐり~

続いて訪れたのは、速玉大社の摂社とされる、神倉神社。538段もある急な階段をゼーハー言いながら上る。この階段は建久4年(1193年)に源頼朝によって造営されたそうだ。一番上まで上ると神倉神社のご神体であるゴトビキ岩がある。


神倉神社

熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地です。天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩があります。熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、この神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれています。二月六日には、奇祭「お燈祭」が行われます。
熊野速玉大社公式サイト

おそらく縄文時代からこのゴトビキ岩は磐座として信仰の対象とされてきたのだろう。今はもうその信仰の精神を受け継ぐ人がいないせいだろうか、特に神聖な気配は感じられなかった。磐座信仰で思い出されるのは水と六の旅 ~ 三重・奈良(3)で書いた、岩尾神社の恐怖すら感じさせる迫力を持った十字岩のご神体。僕はあのときこう記した。
「磐座というものはその場にいる人の思いや存在そのものと呼応・共鳴してはじめてその神性が保たれるのではないか」
いろんな磐座を目にするたびに、この考えはどんどん確信に変わってきている。岩や自然のすべての物は人の思いに呼応し、磐座は信仰する人がいなくなればやがてその神性も失われ、ただの岩になることもあるのだと。そしてかつては日本中にあったであろう神性を持つ磐座や自然崇拝の対象も、現代はそのほとんどがただの“抜け殻”になっているように思える。人の思いや意識が物質に影響を与えるという事象は科学の世界でも確認されはじめている。20世紀以降、科学と宗教の境目がどんどん曖昧になってきている。量子論では人の意識が物質世界に作用しているという、かつての常識とはかけはなれた説が常識になり、その世界観は般若心経などの仏教の根本教理と非常に似通っている。そう言う意味では仏教もまた宗教と言うよりは、この世の構造を説明する“科学”に近かったと言える。根本教理を忘れ形骸化した多くの仏教系宗派は僕はどうも好きになれない。神社は好きだが寺には微塵も魅力を感じないのはそういう点も深く関係している。

そんな物思いにふけっていると長い階段を上る間にかいた汗が急速に冷えて寒くなってきた。今風邪をひいては困るので下りることにした。上りよりも下りるときが怖かった。もっとも勾配がきついところでは60度近くはあるんじゃないだろうか?写真では伝わらないと思うが、感覚的には階段というより崖に近い。そのうえ手すりもなにもない。転落したらただのケガでは済まなさそうだ。高所恐怖の人には辛いものがある。僕?僕は高所恐怖初段の業前なので余裕で半泣きでしたよ。

熊野那智大社

次は熊野三山の二社目となる、熊野那智大社。神倉神社からまた南へ20km下る。無料の高速道路が通じているのでそんなに時間はかからないはずが、降りるところを間違えて太地町まで行ってから一般道を引き返すことになり、かなり時間をロスしてしまった。途中の道の駅でもらった那智大社のパンフレットを読むと、熊野古道の原初の姿にもっとも近いまま残されているのがこの那智大社の大門坂とのこと。今日は時間が無いので大門坂を上ることはできないが、またゆっくり時間を取れるときに来て、自分の足で大門坂の苔むした石畳を踏みしめながら上りたいと思う。そのパンフレットで、大門坂の入り口近くに南方熊楠が粘菌の研究のために3年間滞在した旅館跡があることも知った。熊楠は那智の原生林の伐採計画があると聞いて大反対し、原生林の保護に奔走したとも聞く。熊楠は僕にとってもとても興味深い人物で、早くから仏教の本来の思想は西洋科学以上に高度な“東洋科学”であるということに気付いていたと思われる。“南方曼荼羅”と呼ばれている図など、熊楠の研究を追ってみると何か新しい発見がありそうな気がするので、このブログでもいずれ熊楠についての考察を書くことになるかもしれない。一番上のお土産屋の無料駐車場に車を停めた。その店で買い物をし、店の人に「このまま車を置いて参拝してきていいですか?」と聞くとOKとの返事だった。

車で那智大社の社殿まで来られるのだと思っていたら実はそうではなくここからまた長い階段上りが待っていた。後でネットで調べたら467段あったらしい。勾配はゆるやかなのでまだ良かったが、それでも神倉神社の後での467段はさすがにちょっとこたえた。雰囲気は悪くない。神気漂うという感じではなく、観光地としての楽しい雰囲気だ。

熊野那智大社

田辺市の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社とともに熊野三山の一社です。全国約4,000社ある熊野神社の御本社でもあり、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社です。古来当社はご祭神「熊野夫須美大神」の御神徳により「結宮(むすびのみや)」と称され、人の縁だけでなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められました。那智御瀧は自然を尊び延命息災を祈る人が多く、また八咫烏の縁起によりお導きの神として交通・海上の安全の守護を祈り、さらに御神木の梛の木は無事息災をあらわすものとして崇められています。熊野の自然と共に神々の恵み深い御神徳のある神社であります。
熊野那智大社由緒

那智大社拝殿。ここも速玉大社同様に仏教色を強く感じる。僕の神社めぐりと関係するかといえば、多分関係しない。時計を見ると14時だった。少しゆっくりしすぎていたかもしれない。日が暮れる前に玉置山山頂までたどり着きたい。手短に参拝を終えて、少々早歩きで一旦車のあるお土産屋まで戻った。

しかしまだ那智の滝を見ていない。那智大社に来て滝を見ずに帰るなんてありえない。時計を気にしながら、お土産屋から10分ほど歩いて坂道を下ると、那智の滝をご神体とする飛瀧神社がある。

行きは急いでいたせいか気付かなかったが、あらためてこの飛瀧神社の鳥居の前に自分の足で立ってみると、ここには速玉大社や那智大社では感じられなかった神気が鳥居をくぐる前からすでに強く感じられた。そう!これだよ、僕が望んでいたのは。午後の日の光は杉の大木に遮られ、参道はかなり暗い。その参道を降りていくとしだいに轟音とともに輝く滝が現れた。こちら側が暗いからこそ日の光に照らされた滝が一段と光り輝いて神々しく見えた。これは人間が演出しようとしても不可能な、自然が作り出す美だ。ここにも確かに神がいると感じられた。この日、この時間に来られた事に感謝した。

通行料300円を払えばもっと滝の近くまで行けるらしい。今日は時間がなかったのでこれも次回来た時の楽しみにとっておくことにした。緑の濃い季節に大門坂から歩いて上り、時間を気にせず気の済むまでゆっくり那智の滝の気を全身で浴びたい。気持ちがいいだろうなぁ~。この飛瀧神社の鳥居から滝へも130段の階段がある。那智の滝を見られてまた元気になった僕はその130段を早足で一気に上った。

那智山を下り、一度新宮市まで戻ってから新宮川沿いの168号線を西に向かった。

熊野本宮大社

那智山から熊野本宮大社へは距離にして55kmの中距離ドライブとなる。やはり少しゆっくりしすぎていたようで、熊野本宮大社をちゃんと参拝するにはもう時間がなさ過ぎた。位置的には今回の旅の主目的である玉置山への道のちょうど途中にあるので、寄るだけ寄ってみる事にした。

熊野本宮大社

全国の「熊野神社」の総本宮にあたる熊野三山。三山の中でもとりわけ古式ゆかしい雰囲気を漂わせるのが、聖地熊野本宮大社です。熊野参詣道のなかでも、多くの人々がたどった「中辺路」を歩くと、難行苦行の道のりを終え最初にたどり着くのが熊野本宮大社です。最初に熊野本宮大社を望む「伏拝王子」の名は、やっとたどり着いた熊野大社を伏し拝んだ、との由来からと伝えられています。この熊野本宮大社は、平成7年には社殿が国の重要文化財に指定されました。本殿へと続く158段の石段の両脇には幟がなびき、生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせます。
総門をくぐると檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわします。向かって左手の社殿が夫須美大神(ふすみのおおかみ)・速玉大神(はやたまのおおかみ)の両神。中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)。そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られており、交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿の神として人々を迎え入れてきました。かつては、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありましたが、明治22年の洪水で多くが流出し、流出を免れた上四社3棟を明治24年(1891)に現在地に移築・遷座しました。
熊野本宮大社公式サイト

15:40頃に到着。参道前の大駐車場のほかに本殿近くにも小さな駐車場があったのでそちらに車を停めた。もし那智大社のように駐車場から拝殿まで時間がかかるようだったら諦めようと思っていたので助かった。熊野三山の中ではこの熊野本宮大社がもっとも日本の神社らしい雰囲気を漂わせていた。やはり僕の神社巡りと直接関係してくることは無さそうだが、観光としてまた来たときにはちゃんと参道を通って参拝してみたい。

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