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熊野旅後記(2)~美濃の怪物伝説と艮の金神:玉置山の玉石社は全国に点在する三柱鳥居の原型か

前回記事「熊野旅後記(1)~玉置神社の“悪魔祓い”の謎」の中で僕は、玉置神社の悪魔祓いは崇神天皇によって仕組まれた呪詛であり、その目的は主祭神に据えられた国之常立神(艮の金神)を、玉置神社に参拝に来る日本人自身の手によって封印させることと推測したが、その結論に到る前提要素として、出口なおのお筆先(大本神諭)と、岡本天明の日月神示を取り上げた。
もちろんこの逆のパターンも可能性としては考えられる。つまり、出口なおと岡本天明にかかった神は国之常立神ではなく“ただの悪霊”だった、という可能性だ。が、僕はそうではないと考えている。その根拠は、僕の直観。日月神示と大本神諭に書かれている内容…というよりその行間からにじみ出るなんとも説明しがたい気配から、信じるに値すると感じる。

「直観がどうして当てになるのか。そんなものはぜんぜん論理的ではない」と言われたら、人の直観より勝る根拠はこの世に存在しないと僕は答える。“勘”ではなく“直観”。勘とは主に経験に基づいた無意識的なニューロンの結びつきによる推測のことを指すが、直観とはそれよりもっと根源的な部分での「心で観える、感じる」という感覚のことである。この二つは似ているようでまったく違う。このあたりの話は、わかる人には全く難しくない話だし、逆にわからない人にはおそらくどれだけ説明してもわかってもらえないような気はする。

今の世は憎しみの連鎖が二千年間も続いている。憎む相手を悪だと互いに見ているからいつまでも人間同士の争いと苦しみが終わらない。その真理を悪を悪と見るその心が悪であると見事に説く艮の金神がもし悪神であるなら、正神はいったいなんと説くと言うのだろう?
だがこれはまだわかりやすい例だ。わかりにくいのは、天災や病による苦しみといった、人間にとって表面的には良くないものに思えるあらゆる災難。これも悪いものと見てはだめだと国之常立神は説いている、と僕は解釈している。これらの凶事も人間の身魂磨きに必要な神の恩恵だとする国之常立神は、その厳しさゆえに八百万の神々によって悪神とされ、封印された。この神の世界の出来事が地上界に具現化したのが「崇神天皇による艮の金神の封印」であり、あるいはキリスト教におけるルシファーの存在だ。
ルシファーは天界の天使長だったが、神と対立したことで天を追放され、地の底の魔王サタンとなったとされる。ここに国之常立神との類似性が見てとれる。国之常立神の名を言霊として解釈すれば「常」は「床(とこ=地の底)」でもあり「地の底に立つ神」を意味するともとれる。現に別名として国底立尊(くにのそこたちのみこと)とする場合もある。

悪を悪と見るその心が悪。人間の多くがこのことに気付いたときに、国之常立神の封印は解けるのかもしれない。逆に言えば、善悪というものの存在を肯定するがゆえに悪を封じようとする“玉置神社の悪魔祓い”をありがたがる人間が多いうちは、国之常立神の封印は解けない、という事だ。であれば、崇神天皇の事を「国之常立神を呪詛によって封じた悪人」と見ることもまた同じく魔への道ということになる。ある意味、再帰的構造になっていて、矛盾を含みながらも同時に神の完全性を持っているとも言える。考えれば考えるほど不思議な気持ちになるが、玉置神社参拝に求められる心構えとはおそらくはそのようなものではないだろうか。

ではここから本題にはいる。

高賀山の怪物伝説

話は今回の熊野旅の三ヶ月前に遡る。昨年の10月、美濃(岐阜県南部)の高賀山付近にある巨大杉株の森に行った。僕はその時、さらにその奥の山域に行ってみたいという衝動にかられた。美濃の山奥にはなにかあると感じたからだ。その日の帰宅後、高賀山付近の山域にまつわる歴史について少し調べてみた。高賀山や瓢ケ岳といったここらの山々は、日本国誕生以前からの山岳信仰の聖域だったようだ。

高賀山に、高賀神社という古い社がある。ここに面白い歴史があった。

高賀神社の始まり(高賀宮記録より)

当宮の始めは、霊亀年中(710年代)何処ともなく夜な夜な怪しい光が空を走り丑寅(うしとら)の方角へ飛んで行くのを都の人たちが見て驚いた。都から見て東北の山々、すなわち高賀山を探したが、見つけることはできなかった。そこで、高賀山麓に神壇を祀ったところ、光が現れなくなったという。これが高賀山本神宮の始まりだといわれています。
その後、高賀山一帯に、牛に似た妖怪が住み付き、村人に危害を加えたので、平承3年(933)、藤原高光が御門の勅命によりこれを退治した。このとき再び妖怪が住みつかないように高賀山の麓に神々を祀った。
高賀癒しの郷 知の癒し

その牛に似た妖怪の名を美濃タウロスといったそうな(嘘)

余談だが、高賀神社付近の民間伝承では、牛に似た妖怪ではなく「さるとらへび」というものに代わっている。これは識字率が低かった当時、高賀宮記録を読める者は少なくて主に口伝で伝えられたので、時の経過と共に京都の妖怪「鵺」の伝説と混同されて「さるとらへび」となった可能性が高い。

三柱鳥居

さらに美濃の山について調べていると、高賀神社の怪物伝説よりもさらに興味深い「大和三柱鳥居」の存在を知った。三柱鳥居とは鳥居を真上から見て三角形になるような形で三基組み合わせた極めて珍しい鳥居で、現在全国に少なくとも7つあることが確認されている。

その7つのうちのひとつである大和三柱鳥居は高賀山から北に10kmほど行った山中にあるもので、周辺には神社はおろか人工物が何一つない完全な山中に三柱鳥居だけがひっそりと立っているらしい。地元の人でもこれを知る人はごくわずかだろう。興味を持った僕は11月6日に現地に行ってみた。大和三柱鳥居のある場所は特定できているのだが、そこに到るルートを見つけることが出来ず、その日は諦めて帰った。また今年中に行って自分の目で見てきたいと思う。本当に道さえない山奥で、それなりに登山の知識と装備を持っていないと遭難事故になる危険性が高いので、おすすめはできない。大和三柱鳥居はかなり近年になって建てられたという事だが、誰がどういう理由で建てたのかは不明。

結果としてその日の探索では特に成果が得られなかったので、SNSで軽く日記を書いただけでこのブログには書いていなかった。それがこうして熊野旅後記として三柱鳥居に言及することになるとは僕自身想像もしていなかった。

7つの三柱鳥居のうちでもっとも歴史の古いものは、京都・太秦の木嶋神社のものとされている。これも起源については謎が多く、諸説あるが詳しい事はなにもわかっていない。木嶋神社にもまだ行ったことがなくて自分で撮った写真を持っていないので、Youtubeにアップされていた動画を貼っておく。

ここで、玉置山の聖域である玉石社の写真と上の三柱鳥居とを見比べてみてほしい。

玉石社は三本の杉の巨木の中心にご神体の玉石。三柱鳥居も三本の柱(鳥居)の中心に石が積まれた神座(かみくら)がある。祭祀形態として完全に一致している。僕の勝手な想像だが、この玉石社が縄文人の自然信仰の原点であり、それがシンボライズされ各地に信仰の対象として作られたものが三柱鳥居なのではないかと思うのだがどうだろうか。

縄文時代には日本中に三柱鳥居(の原型)があったが、大陸から渡ってきた崇神天皇によって主に近畿地方を中心として各地の豪族は滅ぼされ、ヤマト王権が樹立。やがて王権の支配が日本全土に及ぶにつれて三柱鳥居もその実物のほとんどが失われ、信仰文化としても事実上消滅した。国之常立神をはじめとする縄文系の神々は悪神として封印されたり、“大国主の国譲り”のように政権側にとって都合が良い形で日本神話の中に組み込まれたり、あるいは天照大御神のように天皇家の祖神として“再利用”された。
それから千数百年後の現在、大本神諭で「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ」と語られるように、かつての縄文の精神性とその神々の復活を願う人々が日本各地に産声を上げつつある。
…というような物語を想像してみた。

高賀宮記録の「丑寅(うしとら)の方角と都を行き来する光」は「艮(うしとら)の金神」となんらかの関連性があると見て間違いない。

熊野旅後記(1)~玉置神社の“悪魔祓い”の謎

熊野の旅を終えて、今後の旅につながる発見と、いくつかの謎が残った。それらは文章にするとかなりの量になるのは間違いないが、僕の中でも考えとしてまだまとまっていないので、一度に書こうとしてもうまく言語化できない。僕自身の頭の中も整理しながら順を追って書いていこう。まず最初の謎は、玉置神社の“悪魔祓い”について。

玉置神社は日本の神社としては極めて珍しい“悪魔祓い”を行う。僕は今回の旅で実際に行ってみて初めてそのことを知ったのだが、ネットで検索すると悪魔退散のお札の画像やお祓い体験談もたくさん出てくる。社務所で悪魔退散のお札だけ授かることもできる。僕はちょっと気がかりな事があってこのお札を頂いてはこなかった。気がかりと言ってもその時点ではまだ言葉として説明できる類ではなく、直感的にかすかに感じた違和感だった。旅から帰宅後、この悪魔払いに対するかすかな違和感について考察してみると、一つの矛盾と言うか、明らかにすべき疑問点がある事に気が付いた。

その違和感というのは、簡単に言えば日本人の感性に悪魔という観念は似つかわしくないのではないかという点にある。神と悪魔、天国と地獄という善悪二元論的な観念は、主に国家が恐怖という人の感情を利用して民衆をうまくコントロールするための道具として生み出されたものに過ぎないと僕は考えている。「○○を信じないと地獄に落ちる」とか「○○をすると悪魔にとりつかれる」といった風に。これらを僕は“偽宗教”と呼んでいる。強いて言うなら、そんな偽宗教を盲目的に信じて従う人間の心、そしてそれを利用する側の人間の心にこそ“悪魔”は宿る。

それに対し、日本人古来の自然信仰は、神とは恵みを与えてくれると同時に天変地異や疫病などの災いごとも司る存在ととらえていたはず。試練を人間に与える厳しい一面も含めての神が、日本人の神のイメージであったように思う。日本人は、神の恩恵も災いも同様に畏れ敬った。その日本人が“悪魔退散”と言う時、これは神に退散しろと言っているのにも等しい。古い歴史があるとされ、日本人の信仰とも深い関係があるはずの玉置神社が“悪魔祓い”を行っているという点に、僕はまず違和感を感じた。もちろんこれだけではまったく論理的ではない。ここからが考察の部分になるが、その前にいくつかの前提知識が必要となる。

国之常立神

玉置神社の祭神の筆頭である国之常立神とはどのような神か。Wikipediaにはこのように書かれている。

天地開闢の際に出現した神である。『日本書紀』本文では、国常立尊を最初に現れた神としており、「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記している。他の一書においても、最初か2番目に現れた神となっている。『古事記』においては神世七代の最初に現れた神で、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記される。
Wikipedia – 国之常立神

ここでは「国之常立神とは天地開闢に関わるとされる、日本神話において最も重要な神のひとり」とだけ覚えておいてもらえればかまわない。

大本神諭と日月神示

神道を語る上で避けては通れないほど重要な書物と個人的に位置づけている、“大本神諭”と“日月神示”という二つの天啓の書がある。このブログ内でもたびたび引用しているが、そもそもそれがどういうものかはまだ書いたことがなかった。この二つは今回の悪魔祓いの謎の件も含めて今後の僕の探求とも深く関わってくることになると思うので、ここで一度しっかりと説明しておきたい。

神道系団体「大本」の開祖、出口直(なお)は、天保の大飢饉のさなか京都府綾部に生まれ、極貧生活を送るだけのごく普通の女性であった。明治25年(1892年)2月3日、なおは突然神がかり状態になった。身体が重くなり、上下に揺れ、自分の意思とは無関係に腹の底から威厳のある大きな声が発せられた。いくら声を抑えようと思っても抑えられない。その第一声は次のようなものだった。

「三千世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神の世に成りたぞよ。
日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。
外国は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。
日本も獣の世になりておるぞよ。
外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれておりても、まだ目が覚めん暗がりの世になりておるぞよ。
用意をなされよ。
この世は全然(さっぱり)、新つの世(さらつのよ)に替えてしまうぞよ。
三千世界の大洗濯、大掃除をいたして天下泰平に世を治めて、万古末代続く神国の世にいたすぞよ。
神の申したことは、一分一厘違わんぞよ。毛筋の横幅ほども間違いはないぞよ。これが違うたら、神はこの世におらんぞよ。
天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに艮の金神が現れて、世の立替をいたすぞよ。」

この神がかり現象は昼も夜も絶え間なく起こり、なおを悩ませたが、次第にあきらめ、言葉を発し続けた。近所では「なおさんは気が触れてしまった」と噂になった。「艮の金神」とは、日本に古くから伝わる陰陽道の言葉で、艮は鬼門の方角(東北)を、金神は祟り神を意味する。自らを鬼門の方角の祟り神、すなわち悪霊と名乗るこの神の正体を見分けるものはどこにもいなかった。

その翌年、綾部で原因不明の火事が起きたとき、なおが「よき目ざましもあるぞよ。また悪しき目ざましもあるから、世界のことを見て改心いたされよ。いまのうちに改心いたさねば、どこに飛び火がいたそうも知れんぞよ」と大声で叫んでいたため、放火の容疑をかけられて留置場に入れられてしまった。その後、放火の真犯人が見つかって無事なおは釈放された。
「誤解を招くのでもう叫ぶのはやめてほしい」となおが神に頼むと、神は文字を書きだした。なお自身は無学でひらがなさえ読み書きできなかったが、神がなおの手を動かして文字を書かせた。最初は柱に釘で文字を刻み、やがて半紙に筆で記すようになった。この自動筆記を「お筆先」と呼ぶ。お筆先はひらがなと漢数字だけで記されていた。自動筆記はなおが死を迎えるまでの27年間続き、最終的には半紙20万枚に及ぶ膨大な神典となった。

最初はなおを馬鹿にしていた人たちも、なおが日清戦争の勃発を予言したり、病人を拝むと不思議と治ってしまうことからやがて驚きと尊敬の目で見るようになり、信者を持つようになった。その後は暫定的に金光教の傘下で活動していたが、徐々に方針の違いが明らかになり、独立を希望すると共に自らに懸かった神の正体を審神(さにわ。神がかり状態がどのような神によるものかを審理・判断する行為)する者を待っていた。
明治31年10月、運命に導かれるように、審神の能力と知識に長けた、上田喜三郎と名乗る一人の青年がなおの元へやってきた。当初なおは喜三郎に不信感を抱き物別れに終わったが、お筆先に「「神の仕組がしてあることであるから、上田と申すものが出てきたならば、そこを塩梅ようとりもちて、腹を合わして致さぬと、金光殿にもたれておりたら、ものごとが遅くなり間に合わぬぞよ」と出るようになった事から、翌年の7月、再び喜三郎を迎え入れることになった。喜三郎はなおに掛かった神「艮の金神」を、自身の祖神でもある「国之常立神」であると審神した。喜三郎は出口王仁三郎と名を変え、なおと共に新宗教「大本」の二大教祖の一人となった。喜三郎はひらがなばかりで読みにくかったお筆先に漢字をあてて句読点を付け、読みやすくして「大本神諭」として発表した。
教団としての大本は、なおの死後も信者を増やし続け、最盛期には30万人を超えた。大本の教義の中に、為政者の“われよし” “つよいものがち”をきびしく批判する要素を含み、特に立て替え・立て直しは革命思想と誤解されたことから、政府から激しい弾圧を受け、一時壊滅に追い込まれた(第一次・第二次大本事件)。

それからしばらく経った昭和19年(1944年)6月10日。神典研究家の岡本天明が千葉県の麻賀多神社を参拝し社務所で休んでいた時、突然右腕に激痛が走り、なおのお筆先と同じように自動書記が始まった。これが後に「日月神示」と呼ばれる神示で、天明の自動書記はその後17年間続いた。原文は漢数字と記号、絵などで記述され非常に難解な内容だったため書記した天明自身にも最初はほとんど理解できなかったが、仲間の研究家らの協力で少しずつ解読が進んだ。原文を解読して漢字仮名交じりの文章に書き直されたものは、「ひふみ神示」または「一二三神示」とも呼ばれる。日月神示をおろした神も大本神諭と同じ「国之常立神」だとされ、従って日月神示は大本神諭の続編という見方もできる。

悪魔祓いを始めた崇神天皇とは何者か

玉置山信仰と、ご神体である“玉石”の信仰は有史以前のはるか昔から存在すると伝えられているが、玉置神社の創建はそれよりずっと後の事で、第十代天皇である崇神天皇が創建したとされている。玉置神社の社伝にも「崇神天皇が天下安泰や悪魔退散を祈願され創建された」と書かれている。これをそのまま読めば、悪魔祓いを始めたのは崇神天皇という事になる。崇神天皇は紀元3世紀から4世紀初めにかけて実在した人物だという説が有力である。

この崇神天皇以前の初代から九代までの天皇は、実在を裏付ける記録が残っていない。その理由には二つの可能性が考えられる。ひとつは、本当に実在せず崇神天皇の時代に創作された可能性、つまり権威付けのために歴代天皇の歴史を創作したものであり、実際には「崇神天皇が初代」である可能性。
もう一つは、歴代天皇は実在したが、なんらかの理由により崇神天皇の代から以前の歴史が抹消あるいは改変された可能性。その理由としては、崇神天皇が大陸から渡ってきて武力により日本を制圧した人物であるためということが考えられる。国民から神として崇められるべき崇神天皇が実はよそからやってきて先住の“日本人”を虐殺し国を乗っ取った張本人であるという歴史は、その後の国を治めるためには都合が悪いからである。

どちらの可能性が真実かはわからないが、現在入手できる資料を読んだ限りでは後者(3世紀頃に大陸からやってきて日本を武力制圧した人物)ではないかなという気はする。この部分は僕も確実にそうだと言いきれる自信がないのでなにか情報を持っている人がいたらぜひコメントで教えて欲しい。今回は後者を前提として話を進める。

玉置神社において悪魔とは何を指すか

僕が感じた違和感を言語化するための前提はひとまずこれで揃った。

・玉置神社の主祭神は国之常立神。
・その玉置神社を創建し、悪魔祓いを始めたのは崇神天皇。
・大本神諭(お筆先)をなおに書かせた神は、自らを艮の金神=鬼門の方角の祟り神=悪霊と名乗った。
・艮の金神は、王仁三郎の審神によれば国之常立神であった。

ここに一つの矛盾があることに気付く。玉置神社の主祭神である国之常立神は、大本神諭では自らを悪霊と名乗った。ということは、玉置神社が祓う悪魔とは国之常立神そのものということになる。これはどういう事だろうか。この理由を崇神天皇とその配下の陰陽師たちによる、国之常立神を封印するための呪詛と考えると筋が通る。かつて日本人がもっとも重要な神と位置付けていた国之常立神を、玉置神社での悪魔祓いによって日本人自身に封印させようとする企みだと考えられるのだ。

僕がこう考えた根拠は、出口王仁三郎の残した言葉である。

『超訳 霊界物語―出口王仁三郎の「世界を言向け和す」指南書』(P89)より

「節分」の時期にまく豆は煎った大豆だが、煎った豆には芽が出ない。これは「もし煎った豆から芽が出るようなことがあったら、表に出てきてもいいよ」という呪詛なのである。また、「節分の夜」に、「柊鰯(ひいらぎいわし)」と言って、柊の小枝と、鰯の頭を玄関の門口に吊るす習慣がある。これは柊の葉のトゲで、艮の金神の目を刺し、鰯の臭いで艮の金神が家の中に入って来られないようにするための呪詛である。

他にもまだある。「五節句」に行なう風習はみなそうだ。
まず「正月」。
門の前に立てる門松は、艮の金神の墓標である。赤白の鏡餅は、艮の金神の骨と肉を表す。飾り物の鞠(まり)は、艮の金神の頭、弓の的は、艮の金神の眼を表している。

また、3月3日の「桃の節句」では、蓬(よもぎ)の草餅を食べるが、あれは艮の金神の皮膚である。
5月5日の「菖蒲(しょうぶ)の節句」で食べる粽(ちまき)は、艮の金神のひげと髪である。
7月7日の「七夕」には素麺(そうめん)を食べるが、あれは艮の金神の体の筋を表す。
9月9日の「菊の節句」では、菊の酒(菊の花を浸した日本酒)を飲むが、あれは艮の金神の血である。

これらの風習は魔除けの呪詛が起源になっているのだが、その除こうとしている魔というのが、「鬼=艮の金神」なのだ。その艮の金神の神示から誕生した大本では、節分の豆まきでは、当然ながら「鬼は外」とは言わない。「鬼は内!福は内!」と言って豆をまく。また、「注連縄」も使わない。注連縄は国祖(艮の金神)が表に出てこられないように、縄を張り巡らした結界が起源だからだ。神社などでは、ご神木の幹に必ずと言っていいほど注連縄が張られているが、大本のご神木には注連縄がない。
このように、国祖を封じ込めるための数々の呪詛が、日本の文化の中に風習として伝わっているのだ。

このやり方はやはり中国大陸系のニオイがプンプンする。もし本当に玉置神社の悪魔祓いが国之常立神を封印するための呪詛だとすれば、玉置神社を参拝する際の心構えについても改めて考えてみたいところである。ネットでは「豆まきが呪詛」という話はわりと広く広まっているようだが、玉置神社の悪魔祓いがそうだという主張はひとつも見つからなかった。もしここに議論の余地があるならぜひコメントで教えてもらいたい。

ただ、この推理を前提として考えてみると、さらにもうひとつの疑問が沸く。天地開闢に関わる偉大な神が、人間ごときにそう簡単に封印されるものだろうか?という疑問である。僕はこの疑問の答えについてはまだはっきりとは言語化できないが、おぼろげに、こうなんじゃないかなというイメージはある。国之常立神は人間に気付きを与えるために自ら進んで「封印された悪神」となったのではないか、という可能性である。

日月神示から言葉を引用しよう。

「悪霊自身は自身を悪と思うてないぞ」
「まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ、悪の大将は光り輝いているのざぞ」
「人の心から悪を取り除かねば神に通じないと教へているが、それは段階の低い教であるぞ」
「大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせているのであるぞ。抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが」
「悪を悪と見るのが悪」
「悪も御役であるぞ。この道理よく腹に入れて下されよ」
「罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方、神のやり方はその罪をも憎まず」
「悪も神の御働きと申すもの、悪にくむこと、悪ぢゃ。善にくむより尚悪い。何故に判らんのか」