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水と六の旅 ~ 三重・奈良(4)

しばらく、眠り病にかかっていて更新をサボりました。仕事と食事と風呂以外は基本ずっと寝ていました。今日(23日)も昼まで仕事でその後、夕方5時まで夢の中。寝ても安全な時だけ強烈な眠気がやってくるので多分ナルコレプシーや過眠症とも違います。なんだろな、これは。今、やっと長文を書く気力が少し出てきたので勢いで続きを書いていきます。

岩尾神社の次に向かったのは、名阪国道を隔てて山添村の南側に位置する、吉備津神社。岩尾神社の場合もそうですが、ここも「磐座がある」という情報だけを頼りに、あえてそれ以上のことは調べずに行きました。事前知識は仕入れれば仕入れるほど良いというものではなくて、多すぎる知識は先入観からかえって物事を見る目と感じる心を曇らせると思っているので。その「適度な事前知識に留めておく」というのが意外と難しいんですけどね。

山添村の吉備津神社

吉備津彦命を祭神に祀っており、岡山県の吉備津神社が本社です。奈良県内に吉備津神社はこの一社のみ。実際に行ってみると思ったよりこじんまりしていて、神社というよりはちょっと大きめの祠といった印象。

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御神体は、境内山腹の巨岩(高さ6m、幅10m)であり、古代人が崇拝した。 神が降臨し給う岩石信仰をそのまま継承して今日に及び、その起源は極めて古い。 祭神の吉備津彦之命は孝霊天皇の皇子、崇神天皇の時、四道将軍の一人として大和朝廷に刃向かう吉備の国を攻め、吉備の冠者「温良」と戦い激戦の結果これを平定、 以後この国を統治し、大氏神ととして岡山県吉備津神社に祀られる。 この時の戦いは後々桃太郎伝承として伝えられるが、当下津にも鬼が塚や鬼岩があって興味深い。 鉄の神吉備津神社関係は全国に約五百社とされるが、奈良県内には当社ただひとつである。河内川の滝音響く本社は、下津里人の心の依り場として、その存在意義は極めて大である。(由緒書きより)

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階段を上がったところに拝殿があり、その拝殿からさらに階段を上がったところにご神体の巨石があります。よく見ると十字の裂け目があるようにも見えますが、本殿(?)と木々に隠れていてはっきりとはわかりません。仮にこれが十字だとして、岩尾神社の磐座の「浮き出た十字」と、ここのご神体の「裂けた十字」の違いはなんでしょうか。もっとよく観察したいところですが、下の写真のように本殿前の階段は拝殿によって塞がれる形になっていて、本殿まで行く事ができないようになっています。がんばれば横から無理やり登れない事もないですが、人に見られたら「良い大人がなにやってる」と後ろ指を差されるのは間違いなし。そういう心理的抑止効果が狙いなのかな。拝殿の正面に立っても、拝殿そのものに遮られてご神体がまったく見えなくなります。これらのようにご神体がよく見えないようにしてあるのは意図的なんでしょうか?

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山添村の沿革によれば、昭和31年に東山村、波多野村、豊原村の三村が合併して山添村となっています。吉備津神社はかつて波多野村だったところにあり、『波多野村史』という本にはこのご神体について「竜神が本来の神で、村人が祭祀を怠ると夜半に神前で鼓を打って警告を発すると云う」と書かれているそうです。

記録にも残っていないはるか昔の巨石信仰の時代には竜神が本来の神だった、と。それがいつ、どのように吉備津彦を祀る「吉備津神社」となったのか。神社合資の関係だろうか?物理的によく見えないことに象徴されるように、何と言うか、参拝者とご神体との精神的な繋がりも断絶されているような、そんな印象も受けました。こんなこと言うと地元の人に怒られるかもしれないけど正直な感想です。この波多野村史という本は入手困難ですが、色々と面白そうな事が書いてありそうな気がします。いつかは手に入れて読んでみたいですね。

吉備津神社をあとにしようとした頃、田んぼからカエルの大合唱が聞こえてきました。

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長寿岩と神野山

山添村の巨石で一般的に有名なのは、観光ガイドにも載っている「長寿岩」かもしれません。1996年、山添村ふるさとセンターの造成工事の際、丘の上から、台座に据えられた球状の巨石が出土しました。これが工事の邪魔になるからということで丘から落とし(!)、台座は破壊(!!)されました。さらに巨石本体も爆破(!?)されるところでしたが、その費用が巨額になるために爆破は免れたとのことです。そのまま放置されていたこの巨石を磐座学会が見つけ、現在のように観光名所としてかろうじて姿をとどめることになった、という岩です。

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古代には磐座信仰の対象だった可能性もあるこの長寿岩ですが、現代人にとってはただの「邪魔な岩」という扱いにすぎず、壊されなかったのも「爆破にお金がかかりすぎるから」というネガティブな理由なので、もし岩に心があるなら、その心を閉ざして人間を拒絶するでしょう。僕もこの岩を前にして抱いた印象は「ただの岩」で、岩尾神社の磐座のような生命感はまったく感じませんでした。言い方が的確ではないかもしれないけど「抜け殻」といった印象を受けました。この長寿岩にもラインがあります。岩尾神社の磐座のくっきりと浮き出た十字ラインと比べるといかにも弱々しく、自然のものと言われればそうかもなーと納得してしまいそうです。ラインとわかるのは一本だけで、パッと見では十字を形成しているようにも見えませんでした。

もともとあったという「台座」は、自然のものだという可能性も考えられます。と言うのも、花崗岩の巨石は外側のもろい部分がたまねぎの皮のように層になっていてそれが風化によって上からはがれ落ち、残る下部が岩の芯の硬い部分を取り巻いてちょうど花が開いたような形に残る事があります。これを「たまねぎ状風化」といいます。
工事関係者がそのたまねぎ状風化を見て台座があると勘違いしただけかもしれないし、そうではなく本当に人為的に作られた台座がかつて存在したのかもしれません。しかし現物が失われてしまった今となっては真実を知る手がかりももう存在しないわけで、つくづく破壊が残念に思います。

この日はふるさとセンターは閉館日で、僕のほかには誰もいませんでした。岩を間近で観察しようとしていると、急にスズメバチが目の前に現れたので、驚いて走って逃げました。スズメバチってはじめてみたけどめちゃくちゃでかいんですね。ハチの出現で観察が中途半端なまま帰ってしまったけど、この長寿岩は何か新しい気付きでもない限りは再び見に来る事はないかもしれないです。

おなかが減り始めたので昼食が取れるところが無いか探しました。ところが料理を提供する店がぜんぜん見当たらなくて困りました。スマホで検索してみるとあるにはあるのだが、位置的に僕の行きたい方角とは逆方向に7kmも離れていたりして、わざわざそこまで行くのもちょっと・・・。結局僕には手ごろな店が一軒も見つけられず、次の目的地への移動も兼ねて名阪国道をさらに西へと車を走らせました。

ここではじめて僕は、この日がゴールデンウィークだったことを思い知る事になりました。針インター手前から大渋滞しています。この渋滞を見て僕はあっさりと「帰ろう」と決めました。名阪国道を引き返しつつ昼ごはんが食べられるところがないか探していると「神野山」の看板を発見。そういえば神野山には料理を提供する店が一軒あったはずだし、鍋倉渓などの見所もあるので、これを旅の締めくくりにしようと決めて神野山へ向かいました。

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\(^o^)/
人おおすぎ。この日「神野山つつじまつり」というイベントが開催されていて、おそらく一年でもっとも多く神野山に人が集まる日だったのです。もともと疲れていたところへこの人の波。とどめに途切れることなく聞こえてくるバイク集団の耳障りな爆音。僕の中で何かが折れましたw
観光も食事もやめにして、非常食として朝コンビニで買っておいたゆで卵とカロリーメイトだけ食べてそのまま帰途へついたのでした。最後が気分的に締まらなかったので、もう一度岩尾神社に寄り、十字の磐座にあいさつしてきました。岩尾神社は「帰ってきた感」がすごい。実家に帰るよりも懐かしくてずっと前から知っていたような感じがします。もちろん初めて行くし、存在を知ったのもつい一週間前のことなのに。

わずか半日の楽しい旅でした。まだ奈良県内に限っても目的地の半分も見ていないので、近いうちに「水と六の旅」の続きに行って来たいと思います。できたら梅雨入り前に行きたいな。次の探索ポイントは桜井市・宇陀市からできれば大阪まで。

あ、そうだ。(1)で書いた「西方よわよわ属性」は今回の旅では一度も発動しなかったです。やはり僕にとっての鬼門は京都か。

(?)に続く。

水と六の旅 ~ 三重・奈良(3)

奈良県山添村には数々の巨石・磐座が点在し、村の観光情報サイトにも巨石ミステリーコースというページがあります。神野山の鍋倉渓は全国的にも有名ですね。しかしこの日僕が最初に向かったのは、この観光案内ページには載っておらず、訪れる人も多くはなさそうな“岩尾神社”というところ。僕が知ったのもこの旅のつい一週間ほど前のことです。

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「神社と言うからには近くまで行けばすぐわかるだろう」と甘く見て、事前に正確なルートを調べていなかったのが誤算でした。神社のある大体の場所はわかっていたものの、実際に付近へ行ってみるとそこはカーナビにも道が表示されないようなまるで陸の孤島といった感じのところでした。とりあえず岩尾神社に通じていそうな道に適当に見当をつけて進んでいくと、そこは普通車が一台やっと通れる程度の道幅で、片側は崖。すれ違いゾーンもほとんど無いです。もし対向車が来たらアウト。不安を覚えながらも先に進むとやがて行き止まりになり、民家がありました。どうやら道を間違えたみたいです。住人らしい人が訝しげにこちらを見ていました。その人に岩尾神社への行きかたを聞くと、親切に教えてくれました。いきなり知らない車が来てびっくりさせただろうな^^;

来た道を引き返し、教えてもらった分岐点を観察すると小さな看板があり、「←岩尾神社」と書かれていました。この看板は注意していないと気付けません。その道もやはり先ほど同様に狭くて坂道で片側が崖となっています。このあたりに住んでいる人はきっと嫌でも車の運転が上手になると思う。対向車が来ないように祈りながらしばらく走ると、また民家が2~3軒ほどある場所へ到達・・・。それ以上車で進むとまた行き止まりになる予感が。ちょうど車一台がギリギリ停められるスペースを見つけたのでそこに車を停め、歩いて先へ進むと左手に坂があり、その上に目的の岩尾神社がありました。

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静かです。音と言えば鳥の声しか聞こえません。参道は石階段。こういう山中の神社の石階段では、足元ばかりに注意していると頭上から糸でぶらさがるクモや芋虫といったブービートラップにひっかかることになるので要注意・・・。

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←おわかりいただけただろうか。

石階段を途中まで登った時、再びあの「空気が重い」感覚が。上にあるものが見えていないだけに余計に畏怖を感じつつ、階段を上がりました。

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拝殿の背後に鎮座していた岩尾神社の磐座。それは巨石でありながら今にも動き出しそうな生命感があり、圧倒的な存在感がありました。

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この磐座を前にして、しばらくの間呆然としてしまいました。中央の白い十文字は削られているのではなく浮き出ており、10m以上はある後方まできれいな直線が続いています。自然のものではないのは明らかです。ではこれをつくったのはいつの時代の、どんな人々なのか・・・どんな技術を使ったのか。この十字にどういう意味が?

同日に見た伊賀の磐座も立派で、古代に思いを馳せる楽しさなどあって魅力十分でしたが、物としての印象としてはあくまで「岩」でした。しかしこの岩尾神社の磐座はどこか艶かしさのようなものが感じられ、岩と呼ぶことも憚られます。その存在感に圧倒されるばかりで観察するのも忘れて写真もあまり撮ってきていません。神社はきれいに掃除されており、毎年秋になるとこの磐座の前で、子供が川原で拾ってきた小石を大人が買い取る「石売り行事」という祭りが行われるそうです。ふと、「磐座というものはその場にいる人の思いや存在そのものと呼応・共鳴してはじめてその神性が保たれるのではないか」という考えが頭に浮かびました。また必ずこの磐座に会いに来ます。

この時点で時間はまだ午前10:30。まだまだ時間は十分にあります。しかし伊賀で感じた疲労感がさらに強まり、帰るかどうか迷い始めました。少し考えて、当初予定していた大阪~六甲までは諦めるとして、奈良県内の目的地だけでも見てまわることにしました。

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山添村のお店の看板にある丸十字のシンボルマーク。この旅ではやけに「十字」と出会います。伊賀の勧請縄の“吊られた丸十字”に、岩尾神社の十文字、それにこの看板。関連性があるのか、それともただの偶然か。実はこの丸十字のシンボルは一年以上前から僕個人にとっても非常に意味があるシンボルマークで・・・それがこの「水と六の旅」で見つかる十字と繋がるのかそうでないのか、僕自身にもわかりません。僕にとって丸十字がどのように意味があるのか、その話はまたいずれ。

(4)へ続く。