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大和三柱鳥居建立のいきさつ

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大和三柱鳥居を見てきた(1)
大和三柱鳥居を見てきた(2)

本題に入る前に少し近況など。
前回の投稿から7ヶ月も間が開いてしまいました。
今年は春からプライベートと仕事共にいろいろ頭を抱えたくなる出来事が重なり、それによって溜まっていた疲れが夏頃にどっと表に出たんでしょうね。発達障害故の脳疲労が原因だと思うけど、調子が悪くなって、ブログ記事を書く気力すら沸かなかったというのが更新できなかった主な理由です。仕事は休めないので、回復にも時間がかかります。

家に閉じこもってばかりだと精神的にも悪くなる一方だと思い、ちょっと無理してお盆の連休中に群馬県方面に一人旅に出たものの、まったく気分転換にもならず、せめて太陽に当たるだけでもうつ予防になるかと思ったのに、終止雨が降っていました。おかげでますます辛くなるありさま(;・∀・)
ちなみにその旅では、俗に関東随一のパワースポットと言われている榛名山と秩父の三峯神社に行ってきました。調子が悪かったせいでその時は特に何も感ずるものが無かったけど、調子が良いときに行けば何か得られそうな予感だけは感じました。またいずれ両方とも行ってブログに感想を書きたいと思っています。

10月下旬頃からやっと調子が上向いてきた感じ。
僕は冬生まれだからなのか、どうも秋~冬のほうが心身の調子も良いです。
今はもうほぼ問題ないと言えるところまで調子が戻ってきたので、また更新していきたいと思います。

ではここから本題。
大和三柱鳥居を見てきた(2)で「イッポウ登山部が登山して続報する」というところで終わっていましたね。今回はその続報の内容と、それに対する感想など。

郡上市役所に残る、造化三神について書かれたメモ。
そのメモを書いたのは、番組の調査で岐阜市在住の大野安一さん(80)とわかりました。
イッポウによる大野さんへの取材で、詳しい経緯も判明。

大野さんには地元の砕石会社の経営者だった、故・山村けいさんという実の姉がいました。
現在鳥居のある山も、当時はその砕石会社のものだった。
山村さんは県会議員の故・船戸行雄さんと親交があった。

船戸さんは信心深く、京都の木嶋神社の三柱鳥居に深い関心を抱いていて、山村さんにもたびたび三柱鳥居の話をしていたらしいです。
やがて船戸さんと山村さんの二人は、郡上の山の真ん中にも三柱鳥居を建てたいと考えるようになった。というのが大和三柱鳥居建立のいきさつです。
大野さんいわく「三本柱は最も安定している。岐阜県は日本の真ん中にあり、ここが安定すれば日本全体も安定する」
郡上市は当時の日本の人口重心地であったことから、郡上の山中に三柱鳥居を建てるというのは確かに道理にもかなっていたみたいですね。

鳥居建立から4年後、人々を鳥居周辺に呼んでさらに活性化させたいという思いから、山の開発計画も持ち上がったが、この計画は資金調達の難航などで破綻。その後、山は郡上市に寄付されることになり、通る人さえいなくなった林道は土砂崩れに埋もれ、三柱鳥居だけが今もそこにポツンと残っていると。

さて、皆さんはこの話、どうとらえますか?
現代人が建てた三柱鳥居に、神は宿るのか。いわゆる「神聖さ」はあるのかどうか。
そもそも「神聖」ってどういう事?という哲学的な話になって行きますね。

僕は、大和三柱鳥居はその建てられた経緯により、他の三柱鳥居と同じく神聖なものと見なすべきであると考えます。
このブログでたびたび書いているように、物質というものは人の思考や感情に呼応するものであるような気がします。
例えば古代から神社のご神体として祀られている巨石(磐座)なども、元はただの岩。人の信仰の対象となってはじめて磐座は神性を獲得し、長い年月をかけて独特の気配を漂わせる「ただの岩ではないご神体」へと移り変わっていく。逆に人からの信仰を失った磐座は再びただの岩になることもある。

大和三柱鳥居は日本という国の安定を祈願して建てられたという事で、そういう意味では確かに「神聖」だと言えると思います。
そして、少なくとも一人、大野さんという人が、その事実を知っていた。イッポウによる報道で、さらに多くの人が大和三柱鳥居の存在と、そこに込められた想いを知ったはずです。
それならば、大和三柱鳥居を神聖なものと考えることの是非が、建てたのが昔の人か現代人かという観点に拠るべきではないと僕は思いますね。
今現在は草ぼうぼうで寂れている大和三柱鳥居も、もし今後また山村さんや船戸さん、大野さんらと同じ心を持つ人が多く訪れるようなことになれば、由緒ある磐座のように「本物の神性」を獲得することもあるかと。

逆に、古い歴史と伝統のある神社であっても、そこに関わる人に恨みや欲望といった負の思念があれば、神聖どころか、呪われ穢れた場と成り果てなることもあるでしょう。
そう、富岡八幡宮とかね。

イッポウ登山部はというと、登頂して実物の大和三柱鳥居にたどり着く様子もわずかな時間だが放送されていた。そのルートは詳しくは明かされていなかったけど、僕の二回目の探索の時と同じ、尾根伝いルートだったようです。
現地調査等は特にされなかったようで、僕が記事で書いた、建立当時にはたしかに鳥居の下にあったはずの神座が今は跡形も無く消え去っている理由等の謎は、まだ謎のままです。と言うか、その神座の存在自体、番組スタッフはもちろん、メモを書いた大野さんももしかしたら気付いていないかもしれません…。
まあこんなところに興味を持つのは僕みたいなよっぽどの変わり者位でしょうけど(;´Д`)

あとまったくどうでもいい事ですが、文体をですます調に戻しました。単なる気分です。

大和三柱鳥居を見てきた(2)

東海地方ローカルテレビ局であるCBCの報道番組「イッポウ」に、東海地方の噂を紹介する10分ほどの小さなコーナーがある。僕は普段この番組はもちろんTV自体ほとんど見ないが、4月21日の放送回の時はたまたまテレビ欄を見ていて「山頂に謎の三本の柱」の文字を見つけ、これはもしやと思い録画して見たらやはり大和三柱鳥居を取り上げていた。

郡上市役所への取材からはじまり、その話の中に貴重な情報があった。
大和三柱鳥居のある山は、以前は民間人が所有していたが、平成16年(今から13年前)に郡上市に寄付されたという。鳥居はそのときにはすでに建っていた。寄付の際、鳥居の写真と共に一枚のメモ書きも市に寄贈され、それは今も郡上市の市庁舎にあるそうだ。贈り主の情報は市に残っていないらしく、誰がメモを書いたのか、そして三柱鳥居を誰がなぜ建てたのかは市も把握していない。

そのメモの内容は次のとおり。

大和三柱鳥居
建立日平成6年8月1日

天と地がはじめて拓かれた時、既に、そこには三柱の神が成っておられたと神典は伝えております。その名は

天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
高御産巣日神(タカミムスビノカミ)
神皇産霊神(カンミムスビノカミ)
と称されます。

この三神が万物を創造され、以来無限のエネルギーを与えられ続けているのであります。三柱の姿・形を大宇宙に見るならばそれは「太陽」と「月」と「地球」であり、地球にあっては「水」と「光」と「空気」であります。そして人間社会にあっては「愛」と「理解」と「尊敬」と言えます。
三者それぞれ、独自のエネルギーが完全にバランスを保つよう一つに纏まることが大切であります。古来我が国では、最も安定した力を三本柱と称してきました。また日本民族の発祥以来皇統に伝わる三種の神器もこの事と無縁ではないと思います。
この三神、三体の偉大なる力とその働きを確信し、生き通すならばこの宇宙にはさらなる調和と繁栄がもたらされるでしょう。
写真は、日本列島の中央に位置する岐阜県美濃の国、郡上市大和町の静寂の地に建立された三神を象徴する三柱鳥居であります。
希望に満ちた太陽の光と糧を育む力強い大地、そしてそれを優しく見つめる赤い玉の影がご覧になれるでしょうか。

「イッポウ登山部」がGW明けに登山して大和三柱鳥居の実物を調査して続報すると言ってそのコーナーは終わった。
TVに先を越されるとなんだか負けた気がするので今回到達することが出来て良かった笑
イッポウ登山部はどんなルートで登るのか興味がある。

テレビ画面をスマホで撮ったものだが、これはその郡上市市庁舎にある、平成6年に鳥居が建てられた直後に撮られたと思われる写真。鳥居中心部の地面に注目して欲しい。黒い塊が写っているのがわかる。写真からは詳細はわからないが、これはおそらく神座(かみくら)だろう。神座とは、三柱鳥居の中心に積む石組みのことで、宇宙の中心をあらわすとされる。京都の木嶋神社のものをはじめ、全国7つの三柱鳥居の多くには神座が存在する。

しかし現在の大和三柱鳥居はこの神座が無くなっていて、小石一個すら見つからなかった。台風などで神座だけが吹き飛ばされたのかもしれないが、いくら台風でも石組みが全て跡形も無く吹き飛ぶとは考えにくい。人為的に神座だけが撤去された可能性の方が高いように思える。


鳥居そのものもよく観察してみた。文字の類は一切見つからなかった。ここ数年で人が祀ったような痕跡もないし、神聖な雰囲気は感じられない。
とはいえ鳥居には違いないので、柱に囲まれた中を踏まないように注意しながら、中からなんとなく空を見上げてみた。

このとき上空は一面の曇り空だったが、鳥居の真上だけぽっかりと雲に三角形の穴があき、そこから青い空が見えた。単なる偶然か、それとも…?


鳥居の隣には20m四方くらいのスペースがある。これはヘリ着陸用の場所だとも言われている。平成6年からまったく手入れされていないにしては、ここだけ草木一本生えていないのは変だ。すると今もヘリでここに着陸して手入れしている人がいるという事だろうか。だとしたら、なぜ三柱鳥居そのものは手入れせずに、かつて神座があった地面に草が生えたままになっているのだろうか。ますます謎が深まる。

天御中主神と国之常立神。両神は天と地とで対を成す神。古事記では、天御中主神をはじめとする三神は「造化三神」と言い、最初にこの世に登場する神とし、国之常立神はその次に登場するとされる。日本書紀では国之常立神が最初となっている。ちなみに、関連があるかどうかわからないが、この大和三柱鳥居から少し東に行くと、国之常立神を祭神とする御嶽山が鎮座している。2014年9月27日に噴火して51人が犠牲となったあの御嶽山だ。

もっとこの場に留まっていたかったが、時間はすでに3時半を回っていた。念のためヘッドランプも持ってきているとはいえ、この山を暗い中歩くことはとても危険に思えた。行きに4時間かかっていることを考えると長居してもいられなかったので、後ろ髪を引かれる思いで帰ることにした。

下山中、崩落した斜面で昼寝中のカモシカに遭遇した。こちらに気付くとものすごいスピードで駆け下りて逃げていった。僕もあの脚力がほしい。行きでルートを確保できたので、帰りはルート決めや足の運び方を考える必要があまりなくサクサク進んだ。しかし体力的にはほぼ限界だったので結局帰りでも2時間半かかり、車にたどり着いたのは日が沈む直前の6時過ぎだった。

行き帰りで計7時間。歩行距離は行きでルート探索のためうろちょろした距離を含めて計16kmにもなった。体力的には前回の尾根伝いルートのほうが距離が短くてずっと楽かもしれない(あのルートで雪解け後に鳥居まで到達できるかどうかは不明だが)。ともあれ、日本の神道由来の建造物のなかでもっとも到達困難なものの一つである大和三柱鳥居の実物を自分の目で見ることが出来て満足した。